よく経済家やコメンテーターが、米は日本の伝統などといいます。
じつは、それほど長くはないんです。
■一点目、白米が一般に普及したのは
白米が普及したのは、終戦直前の頃、
食べ物が貧しくなり、配給になったときに一般市民に広がりました。
それまでは、ふつうに雑穀米を食べています。
その後の戦後、食糧不足に対応するため、
白米(脱脂粉乳や小麦も?)を増産し、
日本に無くてはならない物になりました。
ちなみに、戦後ササニシキやコシヒカリで、有名な農林1号など
北陸で開発し、今はみんな、日本独特のお米を食べられるようになっています。
モッチリ好きな日本人はコシヒカリを選んで、
ここ20年くらい、コシヒカリの種類が伸びてきましたね。
それでも、主食になったのはここ60年位ということになります。
まだ江戸時代、江戸に参勤交代で来た時に、
白米のみを食べて栄養が一層偏ったため
江戸患いになりました。
つまり上流階級の内でも、江戸の一部の人だけ白米を食べていた
と思われます。
ビタミンが含まれているそばが、江戸で流行ったのは
わかる気がします。
■日本が農耕民族になったのは、遅め
実は、日本の縄文時代は、世界にまれをみるくらい長いです。
歴史学者や古代学者は日本の縄文時代を研究している人もいます。
それは、木の実やしじみなど豊富に合ったことと
土器や火が使えたことです。
土器や火が使えたことが何の関係があるかわかりますか?
現代に暮らしていると、皿や火の重要性に気づきにくいかもしれません。
それは、調理ができるということです。
アク抜きや、殺菌ができるということです。
つまり、食べられるものが劇的に増えるということです。
どんぐりの他、色々なものを焼いて食べるだけで
十分に争いをせずに生きてこられたという、文化の証でもあります。
世界的には、やはり農耕で安定し人口が増やせられ
そのあと領土を増やして、来たと思うのです。
当初、縄文文化が繁栄していましが
縄文人でも、対応できなくなりました。
(私は個人的に、沖縄の人やアイヌ人系のいわゆる毛のこさそうな人が、ポリネシア・ミクロネシアから島々を渡ってきたと思っています。のちに暖かくなって、朝鮮経由(和風の顔立ち)の人が、縄文人を殺して入ってきたと思ってます)
それは、鉄です。
当時、九州地方では、今の世界地図をみると 朝鮮と日本に境目があるように見えますが
実は、朝鮮と日本は同じ 一族だと思っています。
むしろ、東の国(出雲や近畿(名古屋方面))などと敵対していたと思います。
鉄は、青銅よりも硬いため、人数の論理にも影響し始め
縄文人を、九州、出雲、武蔵(関東)を次々に、
そして征夷大将軍を送ってアイヌ人を追いやったと思います。
組み入れた後は、冷寒の地方でも、
育たなくても作って、それに対応して品種改良してきた日本人が、
徐々に広めてきたと思うのです。
一つは、水稲です。いわゆる水貼り。
これは、おそらく、雑草駆除の手間を省くためだと思いますが
そのため、水に埋まらないくらいの苗を事前に作り、
水に強い、田や稲を作る感慨の技術や農業の技術を育ててきました。
2つ目は、戦後の農林一号などの開発が大きかったと思います。
ここにも、先祖の日本人に感謝して、ご飯を食べれる話でがありましたね。
まとめ
このように、意外と日本人は農耕民族ではなく、コメを食べれる人は少なく
白米が普及したのは実はここ最近です。
私の親やおじいさんも、よく聞くと、米はそれほどしょっちゅう食べているのではなく、
麦や稗など普通食べていたらしいです。