先生や学者の意見がそのままでは使いにくいわけと社会のつながり


わかりにくさのポイント

仕事をしていない人や
現場から離れている人の
話はわかりにくい。

なぜ、わかりにくいかというと
仕事をしていない人の
まとめ方というのは
実践的ではないので
話の筋や軸がないからだ。

何を気にして情報やデータを整理するべきか

例えば、
学者は、データのメリハリもなく
網羅的なデータの集め方をする。

よほどマニアックな人や学者でない限り
世の中の経営者や技術者達は
データの特色にしか興味がない。

例えば、建築においても、安いのか丈夫なのか、
手頃に入手できるのか、すぐ作れるのかなどがポイントになる。

なので、建築素材であったり、構造であったりそういうテーマで話す時は
そういうポイントをまとめ方の共通項目として入れると
人に伝わりやすい。

A素材:安さ、丈夫さ
B素材:安さ、丈夫さ

のようなまとめ方だ。

どこの大学でとか、いつ誰が発見したかという情報は、
後回しで良いか全く使わない情報だ。

理解していないこともわからないメディア

最近は、網羅的なデータがなお一層価値がないので
学者と企業のギャップが大きくなっているケースも多い。

メディアの人や、
小説家、技術ライターも最近そういう人が増えている。

肝心なところを載せられてなかったり、
理解していないにも関わらず、
知ったように書いている記事がある。

ITについての記事は
初見でもこのメディアは、
わかっていないなとか、
間違っているのがわかってしまうこともよくある。

それは基礎的なことが理解できていない人が
記事を書いているから、空想的な誤認識でそのまま一般の人向けの記事にしている。
しかも記事を書いた本人は間違っているとか、理解していないとかがわかっていない。

新人の頃や、業界などが変わったときや初学のときに
言葉さえも理解できずに苦労するものだ。
永久に続きそうなそういう段階で必死に食らいつけば
わかるようになってくる。

そういう経験を一回もしていないような
一般人ぐらいのレベルの人が記事を書いて、
一般人みたいな間違いをメディアで流している。

そういうのを見ると
わからないのであれば分かる範囲で書き
必要であれば、調べるなり質問すればいいのにと思う。

そのメディア全体の信憑性が大きく揺らぐ

それぐらいだったらば、解釈や提言など中途半端に書かず
通信社のように事実だけ書いてくれたほうが良い
(チャレンジして失敗するのであれば特に文句はないが、いい加減なのは辟易する)

日常生活から乖離した人の割合が多すぎる

世の中の認識が、子供のような空想だけの世界になっていたりする人もいる。

小説で言えば、
リアル感がなさすぎる非現実的な動機で構成されると
話全体がちゃっちく子供の童話になってしまう。

社会への提言も、実践さを欠いて
文句だけ言って終わりになって議論した気になってしまう。

自分たちのイメージした世界(ビジョン)を共有し
そこへ向かうためにこうしたいというのが
本来の話の軸である。

する気もない人は、一生発言の信憑性もないまま終わってしまう
(楽だからなのだろうか)

そもそも批判というのは、
何が良いか悪いかを自分で考えながら吟味することであって、
文句や悪いことをだけを言うのではない。

純粋理性批判
という本もあるが、
それは同じように文句を言っているのではなく
理論的にも論理的にも確認する作業が伴っている。

実践に活かすという気持ち・役立てたい役立ちたいという気持ち

仕事とはどういうものか、
目的ビジョンを明確に実践でないといけない
という話を繰り返しているが
産学官連携はそういう意味で
浮世離れしすぎた学者を社会で役立たせる意味でもいいと思う。

また、せっかくの研究も活用できるし、
先生や教授だけでなく、学生もどういうことを学べばいいかという筋も理解し
社会との繋がりが近く大きくなっていく。

全ての学業のジャンルで
2,30年以内に役に立つものだけ
研究だとは思はないが、
もう少し、実践的な部分を増やしてもいいと思う。

社会になくて面白そうであれば
多少研究的成果がかぶっても
やるべきだと思う。

独りでできることの限界を超える

このように、社会との分断が問題。
つながってなければ気づきようがない。

だから
対話が必要。

こういう方向に持っていきたいんだけど
どうすれば?とか
なにかある?って言う形で

一緒になって進んでいくと
知識が実践に取り入れられ
知恵になってくると思う。

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