多重人格者という言葉があるけれどみんな自己は分裂している


普通の人は、自分は一つと思っています。

でも、自我というのは、まやかしのようなもので
過去の記憶として、経験などが元になっています。

例えば、朝早く起きて勉強するぞ!
と思っても、夜すぐ寝なかったり、朝になると起きれなかったりします。

土曜は家族のためにと思っても
土曜は疲れて寝てしまうこともあります。

つまり自分の性格というのは、
ほとんど、過去の反応の習慣なんですね。

だから、自分の中に悪魔と天使がいるのが普通です。

悪いことも、手抜きも時には考えるのは当たり前で
それは否定せずに、そういうもんだなと認識していいです。

結構人と話していても、支離滅裂な人はたくさんいますし
ころっころっと言うことや行動が変わる人はたくさんいます。

ただ気になる記憶や状況に対してだけ
同じ行動を繰り返すと、あたかもそれが自我のように感じるのです。

そう思ったりするその瞬間の反応は変えられません
そう思った後に、どう認識してどう行動するかは
自分で選択できるんです。

そこが人間と機械の違いです。

もし、そこで同じように反応したり
人のせいにするような人は
機械のようなメカニズムで動く、死んだ人になります。

一瞬一瞬に生きていませんね。

一瞬一瞬バラバラな時を、
その時々に、記憶を使ったりして判断していきます。

記憶がないと、あまり変化はありません。
記憶があるとそれに囚われるリスクもありますが
記憶があると、また違うやり方を体験できるようになります。

(恐怖心があるからかもしれませんが)
自我によって自分の存在を認めると
過去にとらわれます。

記憶は  温故知新という言葉があるように
囚われるものではなく、使うものです。

自分の存在は今その瞬間に
色眼鏡をかけずにそのまま素直にとらえること、
五感で感じることそれによって存在させると、
生き生きしてくると思います。

記憶が自我を形成しているのに
自我が一つであると勘違いし
さらに分裂した自分を認めないと、
事実と違うので永遠にギャップが残り、時には苦しみます。

まあ、そういういろんな自分が存在することを
気楽に認めて、楽しめればいいですね。

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