政治・経済はなぜ、現実的に役立ちにくく、わかりにくいままなのか?


はじめに

30年も解決されない

拉致問題、領土問題、デフレなどが30年続いているが、脱却できる政治プランがいまだにないように見えます。完全な解決は無理にしても、せめてできる範囲で前進・進歩することは可能だと思います。どうすれば、ぴんとわかり、実行効果も感じられる政治や行政ができるのでしょうか?

現状を見て気づいた点や改善点を、整理してみたいと思います。

気になるポイント

ポイント1:不明瞭な定義

※表にポイントを整理できるかと思いましたが
そもそも、不明瞭すぎて、表に入りきりませんでした。

用語 複数の定義 よくある勘違い 私なりの解釈・現状 補足
景気 ・economy(この言葉も多様な意味がある) 経済 雰囲気を指します。英語に訳せいないほど、あいまいな表現です。目的語と定量表現を使い、失業率0.1%改善などと表現したり、いくつかの指標を複数並べて判断するべきでしょう。
インフレ ・物価の上昇という事象
・物価が妥当な値段を超えている時
・お金の過剰
・生産不足
・または上記の組み合わせ
”物価”というものが不明瞭です。またお金の定義も不明瞭であるため、インフレターゲットも不明瞭にならざるをえません。
お金 ・金銀などの商品
・証書などの信用
その発行地域、流通地域における交換可能な価値(未来の取引における信用であり期待であるもの)。
経済 仕事、お金儲け 定義しにくいです。
(しいて言えば、生産循環システム。できれば、経世済民としたいです)
物価 物の値段。 あいまい。特定の条件下で統計処理した物価水準でしかありません。
政治 多数決、力業。権力争い。 国民の全体の生活をよくするための方法や行政を考えることではどうでしょうか。
金融 お金儲け、投資 資金を融通すること。中央銀行・政府が行う金融とは、あくまで市民の経済活動に支障が出ないようにすることであることが妥当でしょう。

資本 お金儲け 事業活動の元手。どちらかというと生産効率を目的としたものかと思います。1980年ごろの中国沿岸でのオープン市場や、園ころのロシアでの資本導入時の失敗例などが分かりやすいように思います。
日銀 物価の調整ができる インフレ調整にも限界がありますし、デフレ(低金利)に対してはあまり機能的能力は具備されてません。政府や国民との連携が必要不可欠です。
ノーベル
経済学賞
ある。
(実は存在しない)
ノーベル家やノーベル財団をはじめ、経済学賞を受賞した人たちの中からも批判されている賞であり、商標の侵害ともとられています。
GDP 豊かさ

実態は全く異なります。


このように不明瞭な単語を使って、正しく議論(議論とは言い争いではありません。上記の表に”議論”や”批評/批判”を付け加えてもいいかもしれませんね。)はできないと思います。

いくつか、単語について、表に入りきらなかった内容やその補足をしてみたいと思います。

経済

辞書的には生産活動。economy の本来の意味はギリシャにおける家計のやりくりです(日本、中国の古典でも家計の大事さを説いているものはありますね)。のちにケンブリッジ派のマーシャル(ケインズの師、需給の関係、限界効用、所得流通速度で有名)によって広められたようです。
economyにしろ多様な意味がありますし、日常語としても幅広く多様な定義で利用されています。

古代中国を参考にした経世済民の略でもあります。西周(慶喜の側近の一人、啓蒙家、哲学者の一面もある)や福沢諭吉がつかっていたようで日本で広まってました。その意味は国を治め、民を救うことです。他の、資生、理財、食貨などの言葉は流行りませんでした。

「なるべく長く、分け隔てなく国民が豊かになるためのシステム」であり、それを考えることが経済なのではないでしょうか。

一応一言気になるところをいっておきます。個人的には、また逆に不平等という言葉は、社会的な視点であまり理解されていないのではないでしょうか。少し議論されている内容としては結果の平等か機会の平等なのかということです。

結果の平等などは待遇格差にこだわりすぎていると思います。
相対的な豊かさを求めるのではなく、絶対的な豊かさを求めそれをクリアするために、例えば商売好きなひとがいてもらった方が、社会全体の豊かさは増えると思います。

リアリティという面でも資源的な有限があるため、例えば全員が見晴らしのいい高所や、海辺など同じ場所に住むこともできませんし、みんながうなぎやマグロを毎日食べるということは今は現実的に不可能です。仮想的であったりタイムシェアリングを活用したり、分け合うなどであるていど満たすことはできると思います。

物価・インフレ・日銀

そもそもモノの値段は定義できないため、物価の安定も定義できません。まともな事業において、値段を下げれば質か量が下がるのです。長期的に見れば給料・投資等流れが悪くなります。見えざる手を信じているのであれば、物価安定が可能というのは矛盾しますし、最低賃金、医療・保険料、交通料金、携帯料など、かなりきわどく維持されている(おとなしさ、勤勉、安全)ということも同様です。中世の財政、江戸時代、金銀の為替、現在の為替にもその事象が表れています。

ロジックを勉強したい人は、小室直樹さんの経済原論がおすすめです。kindle版も最近あります。
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金融の観点で物価のデータを使うとき、物価とはあくまで、一定の条件で統計処理した物価水準を長期間参考値とするだけです。物価はコントロールできません。物価を抑えるということを社会というマクロで見れば、あなたの仕事はもっと安くできると強制することと同義ですし、逆にまずいラーメンや医療の手抜きにもっとお金を払いなさいというようなものです。

こういうことは自然にそれぞれの取引に任せるべきですし、任せるしかありません。社会コミュニティや政府が行うべきは、 物価を直接コントロールするのではなく 、豊かさに悪影響が大きく及ばないような安全や長期性(サステナビリティ)に対して最低ラインを維持・チェックする程度でちょうどいいと思います。

妬みや恨み、困窮から近視眼的になって、そういう理論にそそのかされないように頭はクールに保ちましょう。

家電はなど科学技術はかなりしっかり毎年進歩しますし、一家に一台(PC、冷房、携帯、冷蔵庫、自動車)など、量が変わるものもあります。また、燃費や、余ったものの活用、利用できなかったものの利用、少ない資源で生成する化学技術など、物価が安くなることは悪いことではありません。

第3次産業の医療、介護、育児、芸や理容室やマッサージ、清掃などのサービスは資源的負荷が小さいです。さらに、デジタルコンテンツ(漫画、ゲーム、映像、小説、映画、音楽、ソフトウエア)などは資源的負荷がかなり小さいため、お金を大量に刷っても直ちに1対1の関係でインフレになるということにはなりません。 お金の木書生による値付けではなく、価値や感謝の度合いに応じ、サービスに対しての適切な値段に近づくのです。

気前が良くなることを「インフレで良くない」というのであれば、もうインフレとは物価とは何か、お金とは何かとなりますし、そもそもそれらが社会的にほぼ無価値であることを受け入れざるを得ないと思います。お金に価値を持たせようと無理を通すと、おかしなところ(人の道についてのあやまり)が出てくるのです。

問題となるのは例えば、資源が少ないものに対して、お金の持つ問題です。そういう課題が出てくるのです。

人のためにお金を使うのであって、お金のために人は存在するのではありません。うまくいっていない金融システムを維持するためにお金の希少性を維持するのではありません。災害が起きたら人の生活の方が重要です。労働力や生産力があれば復旧できますが、お金があってもそれらがなければどうしようもありません。お金の希少性はあとで整理すべきです。お金を取引に合わせて正しく評価し合うというのは正しい姿です。(このような国民の理解、総意、啓蒙が必要で、それを政治・国政に反映していくことが良いのではないかと思います)

そうすると金融や利子の問題、シェアや人の社会的貢献、仕事の強制という本当の問題が出てくるのでお金をもって生産していない人たちは不安になるのです。

都合の悪いこと面倒なことを安く買いたたきたいという気持ちはわからなくありませんが、社会的落としどころとしては、ずれています

そういう本来の問題が浮かび上がってきたときに、本来は金融という霞でごまかすのではなく、そちらを直視して主に有限資源や人への仕事の頼み方など協調に関して、社会的に解決すべきことだと思うのです。

物価は目安として使えばいいと思いますが、それだけで判断するというのは乱雑ではないでしょうか。

GDP

同様にGDPについても同じことがいえると思います。

税金を含み、お金を通じない取引や、海外の生産は含まない。また防犯などによっても増える指標です。 生産した付加価値の総額を現実的に集計できるわけがないし、それぞれの活動に対しても(取引してなければ一層)値付けも不可能ですよね。だれが値段や価値を決められるのでしょうか。 取引する本人たちです。しかし今は、評価ではなく、困窮やお金の流通量制限により安く全体的に買いたたかれています。

GDPは危険が増えたり、防衛費、税金、原価コストが増えても増えます。上記物価の観点もありますし、海外の生産や、笑顔、譲り合い、助け合いのコストはGDPに入っていませんが、豊かさにつながると思います。

国民を豊かにする視点を考え、家計消費の値とジニ係数(偏り)を重視すべきではないかと思います。

物価やGDPや生産性、男女差別などデータには基準があり、抽出観点もありますし、文化的違いもあります。

データというものは、そのデータの内訳や基準を見て具体的イメージをつかむ必要があります。

物価のコントロールというよりも、お金の特徴である交換媒体としての価値を欠損しない程度に維持する(極度なインフレ、貨幣の供給を絞りすぎない)ぐらいが妥当なのではないでしょうか。

また、インフレについても仮に「妥当な物価」があったとして、長い間デフレであれば、しばらくはインフレであっても問題はないと思います。どこまで急にするかという程度の問題はありますが、デフレ30年、インフレ1年で問題ないというのは数字的に間違っています。

お金

商品のように制限があり、希少性を保たないといけないと思っている人がいまだにいます。私も長い間うまく理解・整理できていませんでした。

1971年のニクソンショックあたりから、一見問題なくシフトしてしまったことが災いして、違いが市民に理解されているとは言えないでしょう。日銀の金融不備(特にデフレ対策)など、各国の中央銀行や緊縮財政がかなりまかり通っていることを見てもその気配を読み取れます。本当のお金は情報でしかないため、資源のような有限から解き放たれています

裏付けがなければ、価値がないため複式簿記のように整理されるべき情報です。お金が単品で存在するのではなく、例えば円は日本の生産力が裏付けです。日銀も複式簿記で管理されてます。国債も今の金融上の制約(良きにしろ悪しきにしろ)から、日銀引受という金融面と、財政面(将来世代と共有すべき資産かどうか)でわけるのは最低限です。財務省は不足という前に判断材料となるこのような資料や、お金・簿記に対する理解は必要でしょう(国民と議員が検討して入れて、行政の作業内容に含めていいと思います)。

お金が商品であると認識する限り、希少性が必要になります。そしてそれは、不足やデフレを呼び込み、結果経済が滞るのは当たり前になります。’30の大恐慌や、’71ニクソンショックから学び、信用貨幣として、啓蒙すべき内容ではないでしょうか。

おまけ:wikipedia link
景気インフレお金経済金融物価政治金融資本GDPノーベル経済学賞
議論批評

ポイント2:議論がうまくない?

空中で議論

ホワイトボードなど、意識合わせが下手なのではないでしょうか。今までと似たようなプロジェクトや勝手知ったメンバー同士でも、空中で議事メモさえも残さず仕事を進めることはありえません。ましてや今までにない新規のことであればなおさらです。

議論の目的や、解決課題を決めずに、政治・行政手段を単に発言し、その影響内容やメリットデメリットを話しているだけのようにみえます。これでは、会議が長引き、成果がないのも無理はないと思われます。

また「消費税は是か非か」というような議論も目的軽視であり、手段論でおこなうようなやりかたは、議論が発散し良くはありません。

私個人がちょっと調べたり見た範囲で狭いかもしれませんが、改善提案なり、考慮不足の検討、方向性の修正もなく、単なる指摘で終わったり、優先順位が検討されていなかったり、ミスのつつき合いが散見されるようです。

うまくいっていないプロジェクトほど決められず、意識ずれも多く、責任や議論内容が内向きで、正しい言い合いを避けているように見えます。争いがないことがやさしさに見える人もいますが、無責任です。聖徳太子も和して同ぜず、よくよく議論せよというような教えを残しています。

議論として、 対象や範囲、条件も含め、毎回議論のゴールやテーマを先に決めておくということが良いと思います。

内向きYESマンのメンバー

イエスマン同士でしゃべっているのではないでしょうか?わからない人同士で話したり、仕事上相槌を打つ人のみに話していませんか?

説明番組であれば、社会に意味があることなら、無勉強の人は厳しいまでも、ある程度勉強した人を交え、内に閉じずに一般の人を広く参加させていくなどが良いのではないでしょうか。

映像だとどうしてもテンポが悪くなって、娯楽にはなりえないと思いますが勉強としてならば、理解、整理、議論が本来の目的なのでテンポはしょうがないかと思います。

社会が良くなるという、大原則が配慮されていない。

ポイント3: つまらない

つまらないのは、「政治・経済だからではない」のではないでしょうか。理解でき役に立てば面白いところはたくさん出てくると思うのです。

理解できない。というのはつまり
→枝葉末節、情報の海におぼれている。
→日常的に関係ないことばかり、議論しているか、日常生活との関係性が整理できていない。

などの因果関係が考えられます。

解決策

日本国民が議論を理解し、経済用語を理解し、政治や歴史を理解することが、結果根本的な解決となり、早くなるのではないかと思う。

本質だけ、できれば面白く、日常と絡めて説明する機会が重要ではないかと思います。

また政治家や行政に任せず、結果は、責任を国民がとることになるので国民が理解して関与する時期にもう来ているのではないかと思います。

他責にいつまでもしてクレームをし続けるような国民ではなく、自ら立ち上がって責任をもって、不明瞭な未来があっても決断していく、そんな自立した国民になっていきたいと思います。

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