いい宣伝と悪い宣伝


宣伝っていいやり方と悪いやり方がある。

いい宣伝

いいものができて、
お客さんに売りたいときに、
届かないもどかしさがあるときは
どんどん宣伝しても良いと思う。

その人なりに、価値がありそうなら
伝わっていないので伝えるのは別に問題ないし
良いことだと思う。

ただうまいもん食べたい時は、
競争相手が、カップラーメンからお菓子から、ファーストフードから
レストランから、何から何まで競争相手になる。

例えば、日本一でなくても、
地元でラーメンを食べたいときに
一番うまいラーメン屋であれば
それでいい。

良さと言うのは、場所とか時間など複合的なもの。
値段や美味しさだけではない。

悪い宣伝

しかし、誰のためにもならない
価値のない物であれば、
宣伝はまったくもって意味ない。

良いものでなくても、
宣伝すればい売れるから
そちらの方がいいと言う人がいるが
アホかと思う。

もともと、今は必要なものよりも
不要なものが多い。

それに、だいたい満足できるレベルの商品が溢れているから
それ以上は大差ない。

一度伝えても、
宣伝し続けないと売れない商品は
多分いらないどうでも良いものだと思う。

価値が
他の商品ともかぶっているだろうし
そこまでやるべきものかと思う。

日本が特に生産性が悪い理由は
大差ない同じものを作りすぎたり
競争することだ。

だから、売れても一時だし
苦労して成功してもなおのこと充実感が薄い。

昔好きなCMに Pekoがあった。
かなりセンセーショナルで
大人気。

あっという間に午後の紅茶に大差をつけた。
でも今は、姿形もない。

ネーミングに紅茶がなかっとことや
味に本質的な価値がなかったのかもしれない。

宣伝しなければ、Pekoが紅茶だとわからない。

最初のインパクトで印象づけるのは大事なのはわかるが
長く続かない商品を売り出すのはどうだろうか
結果的に、売れないのはしょうがない。

宣伝が良くて売り方が良くても
宣伝しつづけないと、続かない。

続かないというのは
新規お客さんを獲得するコストも高いし
お客さんから信用を失っている可能性もある。

お客さんなり、嬉しさが見えているか

良いものとは
少なくとも一人以上のお客さんがいること
(規模の理論は置いておいて)

だから、作るときも売り出すときも
お客さんや使うケースを想像しながら
良さを感じたり信じながら作る。

作るときに良さや価値を感じなかったり、
誰に売るのかも不明だったり
お金を儲けることだけを考えてもしょうがない。

いいものを作ったら
ちゃんとお客さんに伝え、
良さをわかってもらう。
対価を堂々ともらう。

商売が商いと言われ、
三方善しにほどほど儲ける。

それが信頼の構築に繋がり、
長い間、愛され続ける商品・サービスになる。

自分も、
いくら良さそうで目についても
使うケースが想像できないものは、
服でも家電やIT製品でも、
食べ物でも購入をためらうし、
購入しても全く興奮しない。

見たくないCMを見るのもお互い時間の無駄だ。
みんなに見てもらうからと言っていいとは限らない。
そこはしょうがない部分もあり、
もっとここを改善したいともう。

一番悪いのはもちろん

CM等で一番まずいのは嘘をついてまで
大げさに宣伝すること。
お金をもらっているから嘘ついていいという意味がわからない。
仮に、芸能人が目の前にして悪口を言えなくても
企画した時点や事前調査で良くないかどうかは判断でき、
それはその人の信念なり仕事ぶりの判断基準に基づく。

誰かにとっていいいのであれば、その良さを伝えればいい。
その良さに価値を感じる人に対して、その良さを伝えればいい。

確かに細かいデメリットを
どこまで伝えるかという難しさはある。

それでも、大したことない商品を
おおげさに言わないといけないなんて
どろぼう?や乞食に近いと思う。

お金がなくて、食うに困っているならまあ文句は余り言わないが
十分生活できている人はまずいと思う。
結局自分に跳ね返ってくるし。

良かったら商売であろうとも
みんなで共有したいし、そこに抵抗はない。

SNSや口コミに価値が出たのは
それだけ、企業が隠し事や嘘が多いということだ。
いろいろな権力で押さえつけてきて、価値づくりは
後回しにしてきたということだ。
今までそれがなければ、
大きな根本的な部分でそんなにSNSや口コミと
宣伝に違いは出ないはず。

程々に儲けて技術を磨いていたところは
逆に個々で一気に信用を得てきている。

商品価値以外にうつつを抜かしたところは、
一気にごぼう抜きされ、
しかも正しいやり方を長年していない企業は
内部での復活は絶望的だ。

創業者らが今まで積み上げてきた
信用をお金に変えて切り売りしているところは
まだ大丈夫だと思わないほうがいい。
自分の命をくだらないことに使っているということに
まずは早く気づいたほうがいい。

ただ単に変わることに保守的なひとではなく、
社会的にデメリットを生むところで
保守的に権力を我が物顔にしている人たちの
姿を見れば、よく分かる。

ちゃんとやれていないことが本人自身わかっているし
社会的な意義を一度も考えていなかったのだろうと思う。
だから、社会的な良さを言うのではなく、
自分たちは食べていけないことを言い始める。

感情的で、ロジックも支離滅裂で、
リーダらしさのかけらもなく、
なによりもみっともない。

それは生活保護の範疇であり、
迷惑や被害が大きい場合、守る必要はない。

恐らくゆでガエルのように
もうすでに動けなくなっている人もたくさんいると思う。

そういう人のために
正しいやり方ができるような働くためのインフラを、
今作りたいと構想中だが、
まだ先は長い。

教訓

ほどほど儲けるということが、
会社を長く存続させる。
また技術的成長への緊張感につながる。

その緊張感は、日常的で本質的な企業の成長につながり
有事の際に、社員が本質を見極めて能動的に動ける人財になる。
また、会社もすぐ対応できる。

社内政治や権力など、企業の存在意義や貢献を考えていない企業は
対応する方法がわからず、潰れていく。
(大きな技術革新があると、かなり厳しいのは変わらないが)

これからは、経験を大事にした社会変革期であるから、
ビジョンが絵に描いた餅で、社内政治が強いところに
自分の人生を切り売りする必要はない。

補足

細かいことを言うと
最近はさらに、機能面や性能面ではなく
多くの業種で、体験寄りになってきた。

少し前は機能を伝えて、
お客さんがどう使うか想像してきた。
いろいろ昔は少なかったから、それでも十分イメージできた。

今は、それだけ差がないということもある。
どういう体験ができるのか、
ありふれた製品であればそういうことがポイントになる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。