疲れる仕事と疲れない仕事を分けるもの


遊んでいる時は簡単に徹夜で頑張れるのはなぜだろう

ただ生きているのに、仕事で疲れる時があるのはなぜだろう。

面白い仕事に夢中になるのはなぜだろう。

定時で帰ったのにぐったりしているのはなぜだろう。

同じ、生きていて動いている時間。
こうも疲れ方が違うのはなぜか

肉体的には、大差ない。

気のせい

ということは
自分の気になることを
結構優先して

気に入らないことから
遠ざかれば良い

困難に向き合わないのではないよ

できないせいにしてあきらべるというよりも
やりたいこと、やるべきことを見つめ、
それをするために

どう近づくのか

それを考える。

そのとき、
最初から答えを出すのではなく

1mmでも近づくまたは近づこうとするのが
真実じゃないかな

自分の生き方なり、仕事なりの信念を持って
ここはすべき、してはいけないという
自分の主体と価値基準を持って
取り組む。

ゲームのように、自分でゴールや生涯を設定して
一つ上のレベルにこだわって対応する。

そういう、
仕事のゴールに対して
主体的にこれは自分しかできないから
みんなのためやろうとか

これは、難しいからやりがいがあるとか
ここまでがんばっちゃおうというのが
ある気がする。

できる人や、
プライドが高い人が
なんだかんだ言って
成長するのは、

この大事なことに対する
主体性やこだわりがある。

そこが、実は行動を起こす上のポイントなのかも

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