ルワンダ虐殺による難民は虐殺したフツ側が多い【教訓】


上記の写真は、実際の事件とは関係ありません
上記の写真は、実際の事件とは関係ありません

ニュースでははっきり取り上げられない事件。

本当のところはどうなんでしょうか。

受け身で情報を集めたり
一般的な雑誌等からは気づけなかったところを中心
まとめてみました。

はじめに

センセーショナルで残虐性の事件ですが、
実は虐殺したフツ側が難民キャンプでは暮らしています。

それは政権転覆を狙う人がいて何度も覆ったためです。
またその混乱に乗じて、政権が覆ったせいでもあります。

過去に、統制しようとした人もいたし、
格差から、権力を欲した人たちがいたことも問題です。

教育のレベルが~~という話もありますが
教育の内容についても理解しないといけません。
「虐殺や数々の暴動が悪い、権力や西欧が悪い」と言う知識ではなく
長期的なスパンで、本当の知恵として
政治などを考える必要があります。

言葉など境界で分け隔てることがないように、
本当の知恵として
憎しみがあるときの対応の仕方を
普段から学ぶ必要があります。

ルワンダの民族の成り立ち

ケニアのそばにある中央アフリカの小さい国が
ルワンダ。

ルワンダは日本の 2/3ぐらいの面積で、アフリカではとても小さな国です。

当初はトゥワ族がいました。

北西のチャドから、流れ着いた民族にフツ、ツチと呼ばれる民族がいた。
ちなみに、フツとツチに違いはなく、両方をセットで呼ぶ呼称がないため
フツ、ツチと呼びます。

比較的、フツと呼ばれる人は農耕で、土壌的に貧しい暮らしをしています。
ツチと呼ばれる人は遊牧民タイプです。

ベルギーの支配が合ったときに、所有している牛の数でわけたそうで、
遊牧民タイプのツチ側が、支配層のようになりました。
(一説)

ツチ10%、フツ90%でベルギー好みの民衆がツチだった可能性もあります。

 

1940年から豊かな国は人口が6,7倍にもなり、
さらにコーヒーの暴落もあり食料に困窮していた時代でもあります。

そんな中事件が起こった

大きな背景

1959年にフツ主体のルワンダ革命という民衆転覆が起こりました。
ツチ側は、恐れて、ウガンダに脱出して独立しました。

ウガンダはすぐ北にある、ルワンダに比べれば大きい国。南にあるのはブルンジ共和国。ルワンダと同様小さな国。

 

1973年 クーデターで政権についた大統領は宥和政策を取り
平和に暮らしていました。

しかし、北のウガンダでは81年から86年にかけて
ツチ側の一部が反政府側に付き
内戦が続き勝利しました。

そのままツチ側が
ルワンダ愛国戦線を組織しました。
(西のザイールなどツチ派との殺りくが幾度となく発生しています)

90年から93年に内戦が勃発しましたが
国際世論もあり、和平合意にいたります。

しかし、ブルンジ大統領が殺され
つい最近の2008年まで報復合戦が行われていました。

事件当初

94年4月6日
ルワンダとブルンジの両国の大統領の飛行機が
破壊され殺されました。

フツ過激派などは、ラジオでツチのせいだと言う情報が繰り返し流れ
ルワンダ虐殺やベルギー、ガーナ人の殺害
ギコンド虐殺、ビャルブイェ大虐殺が立て続けに発生しました。

メディアを使い虐殺を先導させるのは
中国が日本に起こした通州事件のようです。

先立ってルワンダの北部では、大統領と同郷の市長が
4月6日に夜から武器を配っていました。
また虐殺がブタレで行われていませんでしたが
ヘリコプターで民兵が送られ虐殺が起こりました。

女性議員は50ルワンダフランでツチの殺害を推奨していたようです。
95年当時
1ドル = 262.20 フラン  なので 20円前後です。
ツチ側でリストアップされていた人を中心に強奪も行われ混乱は加速していきます。
虐殺を行った側をジェノシデールといい、
先導する方は教育レベルは高かったと言われています。
(殺りくをジェノサイドという)

このようにフツ側の過激派は、メディアでの先導、組織体制
重火器の支援により
ツチ派やフツの穏健派を虐殺していきます。

さらに殺害しないフツ派も反対派として虐殺していくため
逆らえない人たちが増えていきます。

これらは90年ぐらいから、先導が国家レベルで行われていた
ともいわれ、後にフツ側の指導者は有罪判決を受けています。

終結に向けて

一方ツチ族側(ルワンダ愛国戦線など)も、混乱に乗じ
中央にある首都キガリ、南部のブタレ、北部のルヘンゲリと制圧し
結局100日後、全土を制圧しました。

ルワンダ虐殺では、
フツ側がツチ側とフツ穏健派を80万人虐殺したとみられ、
ブルンジでは、ツチ側がフツ側を10万から30万人殺害しました。
また前半の6週間で8割の人が殺され、
山刀以外にも、AK-47や手榴弾も数多く使われました。

難民キャンプでは虐殺したフツ側が
報復を恐れ多くいます。

関東大震災や東京大空襲でさえ10万人です。
東日本大震災は2万人弱です。
この虐殺は数カ月にわたり山刀など人手で行われたことから
すさまじさがわかると思います。

この虐殺に加担または傍観していた200万人ともいわれるフツ族は、
ルワンダ愛国戦線がルワンダを制圧したため周辺国に逃れていきます。

その中には、フツ過激派もいて、東ザイールにいるツチ派のキャンプを
たびたび襲撃していました。

またルワンダ愛国戦線が、ザイールのモブツ大統領の転覆を狙ったキブツと共闘して、
96年、98年とコンゴ戦争が起こります。

アメリカの支援を失ったザイールのモブツ大統領が亡命し、コンゴに代わりました。このコンゴ民主共和国はルワンダの西にある大きな国です。通称コンゴはさらに西にあるコンゴ共和国です。

ポイント

食糧難の背景と輸出に頼る経済政策のせいによって世界的変化で打撃を受けた。
富を管理するため強引に支配層を作り区別した。
無教育な過激派による排他政策や思想があった。

過激派の行き過ぎた排他対応で、
同調しないものはすべて敵とみなすことにより、
被害が拡大していった。

学ぶこと

根本的には、大航海時代による
侵略がもとにある。

苦しいときに人のものを我が物のように
奪うことが問題なのは明らか。

その時のパワーは強欲な権力者と
貧しい、生活もできない民衆だ。

貧しいが生きるためにチャレンジしていったのが
アメリカだし、西部開拓時代でもある。
だからなおのこと低レベルの教育やマナーで
虐殺が起こり得ると思う。

キリストの言葉に汝隣人を愛せよという言葉があるが、
隣人を憎むことがどれだけ起こりやすいか、
そしてそれが悲惨な状況に陥るかの例になる。

隣人というのは、すごく曖昧な言葉で
人を分け隔てるものだ。

日本国内国外では
政治など考えるときに
あまり分け隔てるような名称を使わないことが
大事なのかもしれない。

ナチスドイツの例など、排他政策や階層による加虐が
こういう時に破裂する。

対立や妬み、恨みを元に
境界を作り先導する人の話には
納得してものってはいけない。

混乱に乗じて、自分の欲を満たす人もいれば
混乱を起こす人もいる。

イギリスやローマ、日本の明治維新でも
まずは、秩序の混乱の発生から
政府が転覆したり、政権を獲得した。

貧しい人を野放しにすると
秩序を見出しても生き残ろうとするのは当たり前のこと。
秩序の混乱の状態の方が、生きやすいような世の中を作ってはいけない。
大なり小なり、あなたにも自分にも関係はあるし
大なり小なり、あなたにも自分にもできることがあるはず。

日本でも日中間で、盧溝橋事件が起こった当初も
戦争が開始されていなかったにも関わらず、
ラジオで先導が行われ通州事件など
数々の暴動が起こった。

緒方貞子さんは、ラジオによる
教育レベルの低い人の先導を嘆いていたが
そういう問題もあるが、それ以外にも問題は合ったろうと思う。
(そういう話まで流れてこないだけかもしれない)

先導する側は教育レベルが高かったし、
現地のメディアも、残虐な論調で何度も数年前から流していた。

日本でも、普段から幾つかのメディアに分散し
発言の自由のないメディアを見続けるのは危ないという意識を持つべき
(特に高給な人がいるところほど、
そういう人を引き寄せる力も強いので注意する必要があるし、
ビジョンがだめな組織は目的が合致していない為、危機のとき危ない)

他国に対する経済的強欲が
混乱を発生させたことも認識しなければならない。

グローバル化の対応は、お金を得る目的ではなく
助ける目的でしないといけないと思う。
また、過激派同士の争いのなかで
どう宥和させ、穏健に過ごすかというのが難しいとつくづく思う。
暴力による統制という方法を取るのではなく、
日ごろからの助け合いを自分は重視したい。

それぞれの道で歩んでいいと思うけれども
他人のそれぞれの道を妨げてはいけない。

参考

ルワンダ紛争 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E7%B4%9B%E4%BA%89

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