官僚が経済を動かすのは難しいんじゃないかなと思う


いま日本では、
政府が経済をよくできると官僚も思っているし
国民も期待している。

しかし、それは無理な話なんじゃないかと思う。

仕事の本質

なぜかというと
資本を用いて豊かになるためには
もっともいい方法を選択しなくてはいけない。

効率がいいから豊かになれる。
効率がいいものは、
よりベターなものを選ぶことになる。

このように最もいい方法というのは
いろいろやってその中でベターなものを選ぶということ。

やる前にはわからない。
つまり、計画できない部分。

これに対応するのは、
変化に対応する柔軟性と
大量の挑戦。

そして、やり直しができる環境だ。

目的を見据え
チャレンジして失敗したら
目的と予想と違ったところは
なんだろうと考えて
またやり直す。

最後までやってみると
そういうもんかってわかるものだと思う。

今の日本は

  • チャレンジしない(安定志向)
  • 失敗をたたく(新しいことにチャレンジした経験がない)
  • 違うことを恐れる(多様性を否定する)
  • 無目的に批判したり崇拝したりする(思考停止)

こういう状態で
変化に対応できるかというと
無理だというのがよくわかる。

泥臭くやり切らない。
謝ることはみじめだと思う。
そういう考えの人もいる。

そういう人に人はついていくだろうか?
厳しい時に任せられるだろうか?

お金がないとついていかないことを知っているから
やめたあともお金を確保できるようにしたくなる。
むしろお金がないと、自分についてこないんじゃないかという不安がある。

事業は市場に任せる

ダメなときは、だめであり
救ってはいけないし、
ダメな事業や企業はつぶれて問題ない。

ここがわかっていない。
世の中に求められていないことを
やり続けて
売れないと嘆く。

仕事しない人をサポートして
生産性が上がらないと嘆く。

向かない人に我慢させて
潰す。

事業が人生そのものという認識は
封建時代の名残なのだろうか?

別にこの事業が失敗したら
次の事業に移ればいい。

現場感覚

教育というのも古いものだし、
官僚というのも硬直化して古く、
しかも現場から距離が遠い。

官僚だとできること、できないことは
現実ではなくルールが先に来る。

感覚や経験が育たない。
温室では、どんな優秀な人でも
判断は不能だ。

フィードバックがあって
学びができる。

現場に行って
生の感じをつかまないと
対応できない。

100どころではない
無数の気づきがそこにある。

しかもたいていのことは言葉にできない。
チームプレーをしたことがない人に
チームプレーを説明するのは難しい。

PCやインターネットさえを経験したことがない人に
LINEを説明するのは難しい。

国民が主体

生きるために、稼ぐ、豊かになるというのは
国民自身がやらないといけない。

しかもその何がベストになるかという市場は
誰もコントロールできない。

コントロールしたものは、
市場っぽい何かでしかない。

ただ、市場に任せただけでは
完全市場というものは無理なので
ひずみが生まれてくる。

そういうひずみを防いだり、
一部の人間以外は、うまく価値を見出せない時に
サポートするのが社会として重要になる。

そういうところを市民と行政で一体になって
サポートすればよい。
いわゆる福祉などの部分。

現場については、
国民が任せろ!って言えるほうが
かっこいい。

100%成功するなんて
みんな思っていないから大丈夫。

難しいのもわかっている。

だから、遠い安全なところで
文句を言う人ではなく
泥臭くやっている人をたたえる文化を
日本から根付かせたい。

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