格差社会自体が悪いのではない


ピケティの本が出た当時
訳されないと思うから、英語で読もうか分厚い本なので迷っていたら
すごい勢いで、社会に広がっていった。

そもそも、(資本ということに対して)
得意な人が得意な領域で、更に伸ばすのはアタリマエのこと。

それ以降もさらに

よく「格差が広がっている」、「格差を縮めなければいけない」
という話を聞くようになってしまった。

これは、貧困の発想になってしまうと思う。

差異というのはなくならない

事実として、差異というのはなくならない
例えば、みんな東京のある場所に住みたいと思っても
それは無理。

もしみんなが、王様の暮らしをしていたら
格差があろうと、どうでも良い。

ムヒカ大統領もいったように
地球の資源として、王様の暮らしになにか幸せがあるのだろうか

王様の暮らしをしても、気持ちが荒ん(すさん)でいれば幸せではない。
現代社会は、死んだ過去の人の総数と、今生きている人の総数が同じくらいで
しかも、1500年台のフランスの王様や江戸将軍よりもそうとう豊かな幸せの暮らしをしている。
つまり大多数の人が、ある意味王様の暮らしを享受している。

それでも「でも」とか「まだ」と思う自分の気持を
素直に見つめたらいいと思う。

土地や時間、知識、体力、筋力など、平等にしたほうが良いですか?
自分都合だとうまく行きませんよね。

問題は格差ではなく

格差というのが問題ではなく、
絶対的貧困が問題になっているだけであると思う。
それは問題で、本気で解決したいと思う。

目的語や主語、そして基準のない、格差を議論してもしょうがない(進まないし、何も変わらない)
具体的な妬みでない格差で問題な状態とは何か?

そのとき、全体を見てどういう状態なら理想なのか?
そのポイントが大事。

格差、格差、で怒っている人は、
一番冷たく、何も変えようともしてない人である。
世の中を変えようとした時に、格差という言葉の曖昧さ、空虚さに気づくはずだから。

格差が問題という時に、一番重要で言いたいことはこれだと思う。

絶対的貧困をなくすこと。

これは重要。そこがポイントだと思う。

ただ、貧困をなくすために、
人がドンドン生まれることに対する、
コントロールなのか約束なのか
教育なのかは必要かもしれない。

格差の議論で話してはいけない対象

格差に怒っている人は、
うらみ、ねたみの人が多い
努力もせず、人に感謝もせず、人を助けもしない人は
論外。

こういう話は、どんなメディアにも載せないでくれとお願いしたい。
それ以外の具体的な問題を明示して議論してくれとお願いしたい。

また、格差が固定されているというのがあるかもしれない。
それは、身近な人を大事にするという価値観があるかぎり
小さくなりにくい。

ただ機会の平等性はかなり開かれており
大抵の人は、遅かれども追いつけると思う。

一歩一歩できることをする

確かに、機会が少ない人がいるかもしれないが
今の位置から、一発逆転を狙うのではなく
コツコツと 上を狙うしか無い。

西川きよしの座右の銘でも
小さなことからコツコツとがある。

まさにこれが大事。
人の花を気にするのではなく、今の自分に注力して
できることを正しいことをまずやっていく。

助けは求めても良い

もし、自分でできないことは、助けを求めても良い。
むしろ助けを求めなさいと思う。
全然助けを求めることは、問題ない。

それを、人のせいにして、
変な言いがかりや足の引っ張り合いは
ゲスであり、下品である。

人の足を引っ張っては、世の中が地獄になる

また、
資本主義で豊かになるためには、
人を助けることが上手い人の足を引っ張ってはいけない。
足を引っ張るというのは、
仏教の六道でいう、現実の地獄道である。

またどこかで学んでわかってきた
資本主義のポイントを書いてみたいと思う。

金持ちを妬んではいけない。
一発逆転を狙っても良くない。

幸せを目指しているのであれば

大事なのは、今ある幸せを気づき、感謝し、
進むべきと思うことを実際に行動に移すことだと思う。

しかも
人間万事塞翁が馬ということもある。
何がラッキーなのかわからない。

まとめ

格差は許容すべき問題であり、それ自体は悪く無い
妬みをなくして、自分なりの目指すイメージとその道筋
その道を歩むだけである。

そう思う。

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