【竹島】惑わされないためのざっくりポイント:鬱陵島(うつりょうとう)範囲拡大誤認識問題?


初めに

基本的な内容もなく、主張や意見、感情論のニュースは控えてもらいたいと思う今日この頃。

日本人の時間も、もったいないですし。

そこで、余計な不安を取り除いて、正しく議論ができるように、そして自分で何か疑問点があったら調べることを目標に、全体像、メインの流れ、とっかかり、ポイントをざっくりと調べてまとめました。

あくまで、竹島の領有を主張するのではなく、議論のネタとなる、事実を中心に書きます。結果、安心するかもしれませんし、逆かもしれません。

国際間での主張

前半はロジック的に抑えるポイントのおさらいをします。中盤から竹島・鬱陵島の本題に入っていきます。

社会で主張する:論理

事実→(根拠)→主張(クレーム)

事実
根拠
(直接的解釈(客観的))
主張への解釈・主張との関係性
主張

物事を主張するには、リアリティのある事実からスタートになります。

事実と言えど、古い言葉だったりするので、一旦それを客観的に現代語なり、バックグラウンドを把握する必要があります。状況、正当性・妥当性、話者、対象物、対象者の関係などです。

実際主張や意見への根拠をもとに、他人を説得します。自分都合の意見や強引な解釈では、議論とはなりません。

事実と根拠があって、他人を納得させることができるのです
(このページでは、お金、暴力、権力、声の大きさ、人数の多さによる強制的納得は対象外です)

事実ははっきり手に入らない

ただ、歴史は刑事事件と同様にはっきりした証拠もありませんし、当時問題にしていなかったことは書かれていませんし、 歴史書 のように都合のいいことを書いてるかもしれません。また、 個人の創作かもしれませんし、また聞きした内容でずれてしまうかもしれませんし、新聞の小説かもしれません。

国同士約束するということ

国という代表と約束するというのはどういうことかわかりますか?

そもそも、国の代表であるとは、見ず知らずの人と約束してもしょうがないので、権限をもっていることがはっきりしている必要があります。正当性ですね。当時は、いきなり襲ってくる可能性もありますし、人の顔なんてわかりません。いつ襲われるかわからないので、君主も顔を見せません。

約束しても実行できないなら、約束する必要がありません。つまり実行の主体と同調しているか、暴力的ですが軍や警察、法の整備がしっかりしていることが大事です(実効性の問題)。

また、すぐつぶれる国家は継続性として、結果実行性が疑問視されます。

また上記と重なる部分がありますが、できれば、国内外から認められた存在でもある必要があります。明治政府、台湾、中華人民共和国、イスラム国の初期の事例を見るとイメージしやすいかと思います。

不正の多い国は、国として認められにくいのです。

国家の承認 – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%89%BF%E8%AA%8D

根拠のない主張は、大人の対応として、あしらえばいい

領土と主張できる根拠

譲渡

売買、交換、割譲

征服(国連憲章下で現在認められない)

先占実効的に占有

添付(自然現象や埋め立て等で土地が拡張する場合)

時効

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C

領土の権原の主なパターンはこれらであり、主な判決例は以下のようなものがある。

領土問題 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C

  • 徴税・課税、法令の適用、刑事裁判、登記、税関設置、人口調査、亀・亀卵採捕の規制、鳥の保護区設定、入域管理、難破事件の捜査などが、国家権能の表示・実効的占有の証拠となる。
  • 紛争が発生した後の行為は実効的占有の証拠とならない
  • 住民による行為は国家の主権者としての行為ではない
  • 条約上の根拠がある場合にはそれが実効的占有に基づく主張に優越する。
    国は、相手国に向かって行った発言と異なる主張はできない
  • 相手国の領有宣言行為に適時に抗議しないと領有権を認めたことになる
  • 歴史的、原初的権原があっても相手国が行政権行使を重ね、相手国の主権者としての行動に適時に抗議しなければ主権が移ることがある。
  • 発見は未完の権原である(実効的占有が行われなければ領有権の根拠にならない)。
  • 地理的近接性は領有根拠にならない。領海内の無人島が付属とされることはある。
  • 地図は国際法上独自の法的効力を与えられることはない。公文書付属地図が法的効力を持つ場合や信頼に足る他の証拠が不足するときに一定の証拠価値を持つ場合はある。

征服や紛争では領土にならない。抗議している間は領土とならない。宣言から関係国が抗議し続けなければ、容認したことになる。住民の行為は関係ない。発言の正確性が重要となる。地図や近隣であることは理由にならない。

つまり、政府による徴税の根拠や、領土の適切な宣言と関係国の承認がなければならず、実効支配についても、占有の証拠にはならないが、抗議し続ける必要があるのです。


※個人的には、占有や所有の概念は社会的に間違っていると思いますが。

さらに、例えば、個人の日記に土地の名前が出ていても、場所がはっきりしません。川という川、海という湖があるように、一般的な呼称が認識を表すことにはなりません。

場所がはっきりしても、実効支配していたことにはなりません。またその土地の当時の名前と現在の名前で指す場所が一致しているかがなければ、論理が途中で切れていることになります。

本編:竹島地域について

地図

竹島

https://www.google.co.jp/maps/@36.6438264,132.0039696,7.49z?hl=ja

まず、場所と位置関係を確認しましょう。
島根、韓国からともに200km以上離れています。鬱陵島(うつりょうとう)からも90km離れています。

竹島の認知 | 外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_ninchi.html

竹島の写真を見てください。 0.20平方キロメートル。 440m x 440mほどしかありません。イオンモールぐらいですが、さらにそのほとんどが山と小島です。もありません。現在は、とある理由から赤茶けた岩の島から、水がないですが、木が植わっています。

また、大きく2つの島に分かれていることが見て取れます。

鬱陵島(うるるんとう、うつりょうとう)

鬱陵島についても、地図等で確認してください。

鬱陵島は 別の独立国であったり、倭寇(わこう)対策の一環で無人となりました。

この島の名称もいくつかありますが、竹が取れたそうです。

于山国(うざんこく)として独立していたが512年に朝鮮本土の国(新羅(しらぎ))に服属させられ、11世紀初頭には女真(じょしん)の侵攻によって滅びた

1417年、李氏朝鮮太宗(たいそう)はこの対策として、同島の居住者に本土への移住を命じた。いわゆる「空島政策」の発令で、その後460年以上に渡って無人島 に

1882年国王高宗 (こうそう) は鬱陵島検察使・李奎遠( り・けいえん )にこの島の調査を指示し空島政策を廃止

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%B1%E9%99%B5%E5%B3%B6

年表

イベントが細かすぎても、わかりにくいです。
うまいこと見つけた区分がありますので、
重要そうな、大きく3つの重要な時期を話します。

最初はそれをとっかかりにしてください。

1696年:江戸時代、対馬藩が対応し領土外交交渉したが、最終的に鬱陵島(うつりょうとう)を日本が譲った
1905年:シーボルトの不明確な地図により、地名に混乱が生じ調査。地名が変わり竹島領有を宣言。
1951年:サンフランシスコ平和条約の調整の中で、韓国の情報をもとにアメリカ政府と探したが独島は見つけられず。

江戸時代の前では、日本人もよく鬱陵島まで漁などに出かけていたようです。

サンフランシスコ平和条約以降は、韓国側は、一方的な李承晩ラインを設定していますが、”領土”とは宣言されていないように見えますし、国際的調整はなされていません。以後暴力的に実効支配を続けています。

1905年に注目してください。実は竹島の名称が変わったため混乱しやすい状況になっています。

一方韓国は政府から明確な根拠と主張が出ていないようなので、議論できませんが、多くの文化人や教授などから、主張が出ているようです。統一見解があれば話が早いのですが、ところどころ断片的、局所的で、体系的にまとめにくいです。

そのため主張されるような独島という名称は複数の名前を持つようですし、独島という名前が出てきたのも1905年頃のようなのです。

領有

日本の主張

1618年幕府は鬱陵島への渡航免許を渡しています。漁については幕府公認です。
途中の経由地である竹島でのアワビ漁も行っていました。

これが執行の証拠ですが、直接的に竹島という表現はありません。

漂流
江戸時代の渡航免許
鬱陵島の放棄
鬱陵島把握の保留
西洋地図の普及と混乱
調査と竹島編入

①、② 1696年で譲ったのは当時の竹島、つまり鬱陵島です。 一方現在の竹島についての明記はそこでも特にありません。

個人的に、外交交渉中に、対馬藩が突然の撤回から、鬱陵島を完全に譲って譲歩したのは良くないと思いました。後に、これがやはり尾を引いていたようです。また鬱陵島も竹島も無人島であったがゆえに、領有問題が不明瞭にならざるを得ず長引いていると思います。

また、幕府が確認した時も、各藩は問題が起きている現状では手を出しにくかったのでしょう(問題を抱えたくない心理?)。

③明治維新後、明治政府は日本国内を掌握するため、円の導入、徴兵制、天皇制、日本国憲法、廃藩置県、通信網・交通等の整備などで強化していきます。 1877年、 日本の地理編纂において上記江戸時代の内容を受け、 太政官指令として、 島根藩が扱っていた範囲を対象外とします。竹島他一島(たけしまほかいっとう)と言われる件です。

不明瞭ながら、竹島(鬱陵島)を中心とした話であること、この時点で日本は管理外としたことは間違いないでしょう。

島根県沖に朝鮮と外交問題があった島があると一旦認識したことは事実だと思います。そのため、上記の江戸時代の件と合わせて竹島を領有したという根拠は弱いといわざるを得ません(無人島ですし)

ただ 現地調査もせず、地図も不明瞭であったため、今の竹島、鬱陵島を朝鮮領としたというのは、ずれを感じます。 「どこを」という部分が不正確であることが問題なのは領有する上で重要だからです。日本が対象外にしたことはただちに朝鮮領とはなりません。

④、⑤1905年の宣言をもって、領有しています。
大韓地誌 1899年大韓新地志 1907年の記載には、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」 など、朝鮮の資料には竹島を認識し、統治していた証拠はないので、無主地です。閣議決定をもって、領有の宣言がなされています。

この年は1894 東学党の乱のあと、1910年日朝併合の前であることです。全く抵抗ができなかったというのは全面的に賛成はできませんが(1907年密使事件など)ロシア戦争に向けた統制の最中です。明治政府は先が見えて節約や富国強兵をしていたかもしれませんが、朝鮮の人はそこまで先が見えていなかったため有難迷惑なのは同様に否定できません。

これは合法とは別の話です。

竹島 (島根県) – Wikipedia

翌1906年3月に県は実地調査も行う。同7月以降漁業者に貸し付けて歳々官有地使用料を徴収。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)

朝鮮側の主張

鬱陵島は、日本との外交問題に発生しましたが、それ以外の地域について特に領有の宣言もなく1905年の日本の宣言の件についての当時の反論もありません

点線のところが、場所が不明瞭、または根拠が薄い箇所です。

行政地域対象
うざん島
石島
松島
独島
竹島

① 朝鮮から管理範囲にうざん島が出ていますが、地理的特徴は鬱陵島の特徴のほうが近いです。うざん島は複数の場所、鬱陵島北西から北、北東に位置する資料はありますが、東南東を明記した資料はありません。提示される証拠に「とある地点から見える位置」では根拠が弱すぎます。とある地点がどこからかという点の証明が必要になります。

② 1900年の 勅令第四十一号 の内容が元です。石島の場所は鬱陵島付近と思われます(独島の月の元)。
③1700年ごろ安龍福の証言では鬱陵島の北東に松島があるとしています。
④仰ぎ見れる範囲とありますが、”どこから”かに対する根拠が不明瞭です。見える特徴も鬱陵島が妥当におもえます。
⑤特に資料はありません。1905年頃の新聞に少し独島の記述が出ていますが、地理的特徴は鬱陵島のそばです。

⑥ 安龍福が北東に松島(1905年より前なので、現在の竹島)があるといったことが根拠ですが、北東ならば竹島ではありません。

特に根拠は示されていないようです。

韓国側が主張している日本の先占件についてですが、先に発見したり、一時的に住んだりすることや、物理的な近さは領有と関係ありません。


1951年時点でもなお韓国は独島の位置がわかっていません。

韓国は サンフランシスコ平和条約の際、 国内に残る日本の資産以外にも (竹島)、独島、波浪島、対馬をもらい受けようとしますが、竹島はもちろん、対馬は日本の領地なのは明らかでしたので、却下されています。

また、韓国の情報をもとに、別途独島と波浪島を米国政府と探しましたが、見つかっていません。再確認に対して対馬まで韓国領だと言い切ってしまうぐらい、 裏付けも関係なく 、 品位 ある発言とはいえず、侵略強奪まがいのことをしているように見えます。

重要なことは、1951年時点で、独島の場所を韓国は把握できていません。1906年に独島として反論できるはずがないと思います。つまり独島という名称は時代考証を考えると当時の地名として関係ありません。

上記のことは以下のことが推測されます。

  • 竹島やリャンコ等の名称を認識していなかった
  • 独島の場所を把握していない
  • 竹島と独島が同じだと認識していない
  • 行政側は裏付け確認が弱く、書類に残っていない
  • 事実ベース確認よりも、まずは貰うことを軸に行動している。

竹島問題外交交渉史 – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%A4%96%E4%BA%A4%E4%BA%A4%E6%B8%89%E5%8F%B2

Memorandum by Boggs, July 31, 1951 – Wikisource, the free online library

https://en.wikisource.org/wiki/Memorandum_by_Boggs,_July_31,_1951

波浪島 – Wikipedia

「米国草案(サンフランシスコ平和条約)に対する韓国側意見書」[5]で、「竹島などとともに日本が放棄すべき島の1つ」として韓国は韓国領への帰属を要望した。
この際、合衆国国務長官であったディーン・アチソンに、竹島と共に島の位置面積などを尋ねられた梁韓国大使は「だいたい鬱陵島の近くで日本海にある小島である」と返答したが、その後の米政府の調査、および、韓国政府による懸命な捜索にも拘らず、現在まで発見されていない。
後にアメリカ政府はラスク書簡にて竹島とともに波浪島に対するこの韓国政府の要望を却下している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E6%B5%AA%E5%B3%B6

勘違いしていたこと

  • 独島をはじめ、竹島、松島など、島の名称が1つではなく複数、場所も複数あった
  • 竹島、松島が名前の混乱期(1905年ごろ)に名称が逆転していた。
  • 証言の元となる、独島、松島、石島の明確な場所を指したところは、竹島の場所ではなく、すべて鬱陵島のそば、特徴も一致する。
  • 独島の名称が出てきたのは、日本人との会話から。しかも竹島を指していない。

わかったこと

  • 1905年が中心
  • 韓国政府は根拠を示していない。
  • 韓国の資料は鬱陵島の周辺
  • 文脈や時代考証に関する議論が弱いのがままある。(資料を見ると、独島、石島、松島という単語の場所を推測できる特徴があってもそれは考慮に入れていないことが多い)
  • 日韓とも関係ないところの議論が多い(逆にそこが怪しいのかも)

まとめ

重要なキーワードは 1905年、うざん島、石島、鬱陵島 。根拠となるポイントは行政的関与、地理的位置、地理的特徴、時期、です。これらが体系的に関連し、同時に証明されなければ根拠として弱いということが良くわかりました。

重要なのは江戸時代に、日本は幕府が関係していましたが、一旦距離をおいています。名称の混乱期の1905年に再度無先住を確認し、宣言しました。韓国も1906年に認識していたようですが特に抗議していません。独島の表記があるのもこのころです。

また、1951年も当時特に竹島が日本の領土であることに韓国も含めて、問題はなっていません。それ以降東シナ海から日本海全般での韓国の暴力的な対処について、日本、アメリカは抗議しています。ただ、アメリカの賛同が日本の領有の担保になるわけではありません。

独島が竹島である根拠や表現は、2005年ごろまでなかったようです。そのころでてきたうざん島と石島に関する場所は不明瞭です。それぞれが”マツシマ”(現在の竹島)や竹島独島を指すという話も、名称だけでなく、特徴や地理的位置もセットで証明されているようには見えません。

1906年以前は、領有の根拠に両国ともなりえませんが、日本のほうが分があり合法です。朝鮮は最後のほうまで場所を把握していないです。つまり、認識していない場所には実質的に反論できないので、領有という理由にはなりえないと思います。1906年に反論できなかったのは、朝鮮側は場所が不明瞭であったことも原因ではないかと思います(日本から見たら経由地として意味があるので)。また、使用していなかった証拠でもあります。

終わりに

事実の整理が大変になるかと思ったら、韓国側の根拠が不明で話が発展しがちで、そちらが大変でした。韓国政府が一本にまとめていれば、もっとすっきり議論でき、日本があきらめるのか、妥当性があるのか判断しやすいと思います。

根拠の不備を指摘するのはどちらかというとメインではないので、細かく議論する必要はないかと思います。

レーダ照射の件でもわかるように感情を軸にした局所的な話は、体系的な 事実ベースではないので、議論が終わる前にいたるところに飛びがちです。

体系的に物事を関連付けて、整理することを続けるしかありません。またお互いに事実は受け入れるという難しい事象があります。

現在の実効支配に対しては、抗議し続けることが最低限で、情報を整理しながら大人の対応をすべきです。

また北朝鮮、沖縄をはじめ国土防衛、人質の解放については、土地の所有に対する日本人全体への平等な対応と日本人の覚悟が広く求められると思います。

ただ、これを押し通すことがアジアにとっていいかは難しいところ。かといって、単純な譲歩ではだめなことも経験済みであるので、工夫が必要かもしれませんね。

補足

韓国側の根拠について

以下、補足ですが特に重要な根拠内容はありません。ただ韓国の主張・解釈についての内容です。※さらに竹島・独島に関わりそうな次章も追記しました。

1900年の 勅令第四十一号 には、「 鬱陵全島と 竹島石島」の表記があります。竹島→ 竹嶼 と双方認識していますが、石島は根拠がなく、どこを指すか根拠が不明です。

1952年、国際的調整のない宣言である李承晩ラインでは、暗に竹島も水資源目的で含まれています。 52年アメリカは抗議しています。 またこれには領有の目的ははっきりしてませんし、日本が先占(せんせん)済みであり、日本はこれに対して抗議しているので、国際的な効力はありません。それ以後話し合いはなされてません。

1906年、 韓国の『皇城新聞』で、欝島郡の範囲について統監府に対し「東西が六十里(約24km)、南北が四十里(約16km)。合わせて二百余里(約80km)」と回答する記事が掲載される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)

韓国の民間等はその後、安龍福の証言と1905年の石島・独島の表現を使っていますが、どちらも鬱陵島周辺の地域と特徴を表しています。それについて政府からの明確な根拠は説明されていません。

石島 (韓国) – Wikipedia

大韓帝国時代の「皇城新聞」1906年5月19日付の記事に、「本郡所属の独島は外洋百余里(約40km)の外に在るが、本月四日に、日本官人一行が官舎に来到し、自ら云うには、独島が今、日本の領地になった故、視察のついでに来到し 、、、抗議した形跡もない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B3%B6_(%E9%9F%93%E5%9B%BD)

1960年以降も済州島(韓国の南西、対馬の西)付近など、自主権が回復する前の、自衛隊もない日本への略奪や虐待(李承晩ラインを超えていない船にさえも無警告で発砲)は続きました。朴 正煕(パクチョンヒ)は日本からの賠償をもって1965年日韓基本条約を結び、漢江(はんがん)の軌跡を成し遂げ以後、ヒュンダイ、サムスン、ロッテなどが独占し大きくなっていきます。 この時期も竹島自体への領有の明確な表現はありません。

李承晩ライン – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3#%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95%E4%B8%8A%E3%81%AE%E8%A9%95%E4%BE%A

朴正煕 – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95

1977年、 福田赳夫首相が「竹島は一点疑う余地のない日本固有の領土」と発言 したあと、1982年、韓国は 然保護区域に指定し、87年工事を開始、2005年竹島を独島と名指すようになってきました(独島の月の制定、独島の地名を明記した地図、歴史教科書問題等)。

名称について

竹島に関する名称:

1847年以前:于山島、松島(以前の竹島の旧称)
                       ※ 于山島に関する地図と特徴は 鬱陵島のそばを指している 。鬱陵島から竹島は”見える”が、見える特徴が一致しない。
1900年以前:于山島、松島(以前の竹島の旧称) 、 リャンコ島(リアンクール島、Liancourt Rocks)
1905年以降: 石島(観音島?)、独島( Dokdo )、 竹嶼(竹島)、竹島(現在の竹島)
                       ※ 竹島以外は 鬱陵島のそばを指している
2005年頃以降:独島、竹島

鬱陵島に関する名称:

竹島・三峯島・于山(うざん)・羽陵・蔚陵・武陵・磯竹島

その他名称:

アルゴノート島(竹島):存在しない

ダジュレー島 ( Dagelet 、鬱陵島、松島):鬱陵島の位置


主なイベント

新たにまとめるほどではないのですが、ミステリーブックやゲームブックのように以下のイベントを調べると面白いかと思います。参考URL等を最後に張っておきます。

・朝鮮の無人化政策(15世紀から19世紀)

・1690年ごろの江戸幕府の外交交渉と、安龍福の対応。

・明治政府の立ち上がり時期から、西洋の地図が入り地名の混乱期を経て竹島編入までのながれ、

・”独島”は何を表し、いつ出てきたか

・実用的な島の活用の変化(生活から領土へ:近代の領有と無人島の難しさ)

主な島の経緯について

アルゴノート島(竹島)
鬱陵島
于山島
石島、観音島
竹嶼

う ざ ん島

キーワード:うざん島、松島、竹、安龍福、江戸時代、竹島一件

大きく分けて、うざん島(韓国が統治した範囲)がみえること
またはう ざ ん島が松島であることがこの島に対するポイントです。

つまり うざん島 がどこにあるかです。見えた内容が竹島かどうか、見た方向がや距離が竹島かどうかそれと うざん島 で行政が行われていたかです。

地理的特徴と位置関係(地図)

于山島:今では存在しない島です。1100年頃から1500年ごろの独島の主張はこの島の名称・地図をもとにしていました。ただ地図上は、西にあったり、北東にあります。 存在していた場合、鬱陵島を見た時の北部または、 竹嶼であると推測されます。

1530年発行の 『八道総図』 では接するほどすぐ近くの西に書かれていますが、韓国の独島博物館で掲載している地図は、コラージュしたかのようにこの島が、90km東に移動しています。

大東輿地図 1861年、大韓地誌 1899年には、下記の 竹 嶼 のようにすぐ東に小さく記載されています。

于山 国はあり、1145年『三国史記』 の記述により512年に、86名住んでたことや竹の情報から、 于山島 の別名を鬱陵島と記載しています。水分補給を考えても、竹島に国の名がつくほど住んでいたとは思えません。周囲3kmもなさそうな竹島が 約40キロメートル四方 であるはずもありません。

1454年に編纂された『世宗実録』に「于山、武陵二島は県(蔚珍縣)の真東の海中にある。二島はお互いに隔てること遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅の時、于山国と称した。 一説には鬱陵島とも云う、100里四方である。」 二島はお互いに隔てること遠く という表現から現在の竹島が出てくる余地はないように見えます。

うざん島が松島(現竹島)と証言した背景

安龍福 に将軍の名前がついてますが、当時密航の犯罪人として裁かれています。うざん島が松島であるという発言から将軍になっています。只、松島は鬱陵島の北東にあると発言していますし、生活のため鬱陵島で漁などをさせてほしいと請願していただけのように思えます。

じっさいこの件で竹島(鬱陵島)が朝鮮も統治していたことがわかり、外交交渉に入っています。いなければ鬱陵島は日本の領有になっていた可能性は高いですが、日本に先占はありません。 安龍福の碑も鬱陵島にあります。

対馬藩や朝鮮も取り調べしました。 安龍福 は朝鮮の関与するところではないことを朝鮮から回答を 対馬藩は 得ています。

于山島 – Wikipedia

八道総図

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%AB%E9%81%93%E7%B7%8F%E5%9B%B3&action=edit&redlink=1

改ざんや虚偽だとは思いませんが、島は2つなのか1つなのか悩んだ末、利用したものが安龍福の証言です。同時に松島が北東であるといっているので、竹島とは関係ないとおもいます。

島根県:竹島の真実と独島の虚偽トップページ(トップ / 県政・統計 / 県情報 / 竹島関係 / Web竹島問題研究所 / 調査研究 / 「竹島の「真実」と独島の《虚偽》」)

『東国文献備考』の分註で「于山島は倭の松島である」とされていた箇所が、引用した『東国輿地志』の原文とは異なる事実が判明

https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/takeshima-dokdo/index.html

鬱陵島 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%B1%E9%99%B5%E5%B3%B6

石島について

キーワード:独島、1900年、 勅令41号 、 竹嶼

現在の島の名称ではありませんが、 鬱島郡の設置を定めた勅令41号 1900年で出てきた名称で、独島の月の根拠となっています。

韓国は110年前に竹島の領有権を放棄した? 謎多き「石島」の真実
https://ironna.jp/article/3839?p=5
鬱島郡の付属島嶼は「竹島、石島」で郡の管轄範囲は付属島嶼を含めても「東西24キロ、南北16キロ、合わせて80キロの長方形の範囲にある

https://ironna.jp/article/3839?p=5

石島:石でできた島のようで、 石島の位置はわかっていません。大きさや距離からすると、2番目の大きさの島の 観音島を指したと推測されます。 鬱陵島の北東に小さくあります。

独島の元となる石島が、現在の独島であるという根拠資料がありませんし。両方の名称が出てきたのは、1905年の日本が混乱した時期の調査内容からです。つまり、その時、名称は場所と合わせてすべて集めている時期の一般名称と考えられます。

韓国の主張にソクトいう名前から、独島はドクト(Dok-)がなまったものとされていますが、現地の人のなまりでも ドル(Dol-)であったことが日本の調査資料からわかっています。

また、1905年以降日本が調査した、現地の名称独島の表現が出てくるようになりました。そのころ皇城新聞では、石島→独島→石島と変遷しながら記載が出てきていますが場所が不明瞭です。

その他

独島:上記以外にはっきりした情報がありません。

竹 嶼 (ちゅくそど、ちくしょ、竹島(ちょくと)) : 于山島 が地図上この場所に書かれていたこともあります。

アルゴノート島(竹島):シーボルトが西にあるのが竹島東が松島という情報をもとに作った地図があります。それは、イギリスの冒険家、フランスの探検家の不正確な情報より作られ、混乱のもととなった西洋の地図の記載です。鬱陵島(その地図上では松島)のさらに北西に位置されていますが、今も存在しません。

参考リンク

竹島 | 外務省

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html

竹島 (島根県) – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)

島根県:Web竹島問題研究所(トップ / 県政・統計 / 県情報 / 竹島関係 / Web竹島問題研究所)

https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/

http://web.archive.org/web/20190329145659/http://www.geocities.jp/Tanaka_kunitaka/Takeshima/

島根県:10の独島の虚偽トップページ(トップ / 県政・統計 / 県情報 / 竹島関係 / Web竹島問題研究所 / 調査研究 / 10の独島の虚偽)

https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/dokutonokyogi/

竹島と日露戦争(オロモルフ)
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/tksm-nr.htm

初心者が竹島問題を学ぶ2著 – 紙屋研究所

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120905/1346776301

Wayback Machine

安龍福拉致事件 in 1693

http://web.archive.org/web/20190329145659/http://www.geocities.jp/Tanaka_kunitaka/Takeshima/

日韓基本条約の全文と時代背景

https://rekisi.info/nikkannkihonnjyouyaku.html

「一番公正な歴史教科書は日本」米スタンフォード大学

https://blogos.com/article/20646/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。