乃木希典という人物と自害した動機


西南戦争のさなか、

その時、大山巌(おおやま いわお)や乃木希典(のぎ まれすけ)が政府軍の中にいた。

若手の乃木希典はその時、武士に旗を取られてしまった。

旗本というのはとても重要な存在であり、
しかも天皇の錦をもっていた。

あまりの恥ずかしさに、自害を考えていた。

明治天皇に、命を預けてくれないかという言葉で、とどまった。

日露戦争では、
203高知など戦いに明け暮れた。
203攻撃は海軍からの依頼であり、
実はその事前の砲弾攻撃で
確認を日本はできていなかったものの目的は果たしていたそうだ。(

また、旅順攻略は上部からの依頼で対応し、
最終的には先に児玉源太郎が来る前に乃木希典は戦い方を変えている。

日露戦争自体が悲惨な戦争であり
天皇までも含めて、日本国民全体が一体となり、
賭して戦った戦争でもある。

乃木は息子をここでなくした。

死亡者の数や戦術に対して新聞にも取り上げられ批判された。
(戦術の効果は後になるまで発表されていない)

その戦後、
亡くなった方の家族に会いに行きながら後半生迎えた。

多くの命をなくしたことに、
おそらく奥さんと気持ちを共有しただろうと思う。

そして

明治天皇が亡くなった時、
西南戦争の繋がりがなくなり、自害したのだと思う。

乃木坂というのが赤坂のそばにあるぐらいだ。
愚将と定義するのはどうかと思う。

乃木希典大将はなぜ名将なのか、日本人には知って欲しい。 – さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」 – Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/31013274.html

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