南京攻略における戦死者と一般市民の被害数は別物


ビジネスやプロジェクトを進めるときも
現状の類似点から、確からしさを推定します。

中国の資料に確からしさがあるのかないのか
そこから、状況の確からしさがわかってきます。

虐殺や略奪もあったかもしれませんし
多くの人が亡くなったのは事実かもしれません。
ただ、すべてが日本人が加害者とも限りませんし、
戦争中以外の話かどうかも不明です。

 

はっきりと資料がわからない状況でも、
事実や前後性など流れや筋を見て、妥当性がわかってきます。
(もちろん後から出た事実でほぼ覆ることもある)

内容が明確か?

まず定義として
戦争しあった同士が死んでしまうことは
戦争は悲惨ですが
戦争下では、通常になってしまいます。

落ち着いてきているのに、ゲリラ戦や
騙しあいで攻撃してきたら
攻撃されるのは当たり前ですね。

投降するなら、ちゃんと投降しないといけません。

大量殺害方法

一方方向からの掃射

もし、一方方向から 銃撃した場合
1分間で100人殺害できたとしても
20,30秒あれば大抵人は逃げます。

完全な包囲

逃げないように囲うとしても
戦闘中では囲えません。
(どこにいるかわからないので)

囲ったとしても、銃の精度がわるいため
完全な包囲で銃撃するのは無理があります。

東京ドームの広さで5万人弱の人です。
これだけの人を囲うように簡単に持っていけるでしょうか?

後ろに気にしながら、逃がさなようにできるとは思いません。
南京陥落後に殺害するとしても、逃げない理由がわかりませんし
わざわざ非戦闘員を何十万とらえているような記載はありません。

捕虜の包囲

また、逃げる際に近隣の村で略奪するのも
問題です。

こういうことをする軍は、捕虜として解放できないし
もし食料が少なかったら、対応に困ります。

投降しきらない兵や、国際法を守らない兵は
捕虜となっても、捕虜として保護されません。

それは戦闘状態として、殺し合いが発生します。

日本の文化

市民を残したのであれば、日本の感覚からあり得ない

もし、市民が数十人でもいれば、
負けた時に、市民を連れて逃げるように勧告するはずですが
自分たちだけでまぎれようとして
逃げたり隠れたりしていないでしょうか?

戦国武将は、自分の首と引き換えに
部下を守ります。

まして農民は、その土地の民なので
いちいち領有するときに殺害しません。

中国の推定は感情論であり
戦闘中の人や
中国や共産党が殺害した人数
内戦により死亡した人数
が多大に含まれていると思います。

完全に投降し、解放しても問題ない兵で
中国人ではなく、日本兵が非人道的に殺害した兵数の
根拠をはっきりしてほしいですね。

松井石根(まつい いわね)

もともと、親中派の松井は蒋介石との提携が
和平につながるという意識をもってすでに予備隊に代わっていましたが、
南京攻略に参加しました。
国際法を意識して学者を帯同させていました。

軍記に厳しく、
極東裁判で責任を取って執行されたが
死に際になっても、絶対にないと言い切っています。

状況の整理

戦死者

日本20万、国民党12,3万として
その国民党の2割が戦争で亡くなったら3万になる。

揚子江を渡河しようとした中国兵を仲間同士で掃射している人数や、
戦闘や登校しなかった兵士の被害を除くべき。

日本が解放した捕虜を、中国軍が機関銃掃射して、
暴徒化しやむなく処刑された事件も起こっている
(幕府山事件。南京の北岸にある下関(かかん、しゃーかん)のすぐ東の山)。

南京人口は増えている

第三者機関の推定では、
20万人 →25万人(国際安全委員会)に増えており、
アメリカでも陥落前に8割が脱出しているとつづっている。

日がな、囲碁を打っていた人が
となりで大虐殺があったと訴えているなんてありえません。
大量虐殺派の本多勝一も嘘だと認め、
その写真も東中野さんにほぼすべて論破されています。

戦況:第2次上海事変

第1次上海事変(1932)などで、
日本だけが融和政策をしたため
それ以降、何をしても何が起こっても日本のせいにしています。
イギリスは残虐で怖く、日本は「押せば、引く性格だ」と。。

1937年
盧溝橋事件(7/7)が起こっても、日中が我慢強く統制し
停戦までもっていったところ、
廊坊事件(ろうぼう 7/23)、広安門事件(7/26)も起こっています。
これらでも、日本は戦闘せずに
機関銃を掃射されながらも、戦闘を回避しようと試みました。
そのあと通州事件(つうしゅう 7/29)という略奪以上の近代史まれにみる残虐事件まで起こします。

それでも
日本は全部条件を飲んで、停戦しようとしていたところ
大山事件(8/9)を起こして、日本を戦争に巻き込もうとしつこく絡んできます。

最新鋭のドイツやチェコ製の武器を用意し20万の国民党軍にたいして、
5千の日本をたたこうとしてけんかを吹っかけてきます。

その上海で、8/13 機関銃の攻撃に対して日本は応戦せず我慢しました。
最後囲まれたため、日本兵4千人で、5万の兵を打ち破り、
そこで敗退した兵たちは、村を燃やしながら、南京に逃げ帰ります(11/9頃から)。

このように蒋介石正規軍でさえ、
停戦中に、攻撃してきて、一般市民や外国人に被害を与えています。
その時、日本が爆撃したという放送までしています。

南京の中では、蒋介石の正規軍は
市民を銃で脅し、郊外のトーチカに貼り付けして日本へ攻撃させます。

その間村を焼き壊していきます。
(市民も軍が弱いと略奪します)

日本が戦闘しながら到着した後(12/8)
日本は攻撃する前に十分な期間を置いて
攻撃時期を知らせました。
その間も攻撃されながらも応戦していません。

松井岩根がくるとわかると
すぐ蒋介石は逃げていきました(12/7)。
12月10日から3日後に南京陥落します。

陥落の時、東京だけでなく、毛沢東もこの時喜んだそうです。

その時の軍は、揚子江を渡れないように
食い下がる味方の手首を切り落としながら
逃げていきます。

南京のすぐ後ろは揚子江です。しかも撤退を考えておらず
船がありません。
だから多数の便衣兵が安全区に逃げ込み、服をはぎ取ったりしていきます。
この時蒋介石からの撤退命令を受け唐将軍はすでに撤退しています。

日本兵は主に東と南から攻めていますが
南京の北にある下関(かかん)は揚子江を超えて北に逃げられる場所です。
中国兵は北と西に逃げています。

そこにおびただしい死体があったそうですが
外国人記者は船で去るときに見たその死体や老人など市民の死体と
日本人による殺害数百人を結び付けて
数万人とあまり根拠なく推定して報告しているようです。

南 京 虐 殺  ( 脱・洗脳史講座 )
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/nanking/menu8.html

新兵などは逃げたり投降したら仲間から打たれます。
指揮系統もなく、
陥落後も戦っていたり、突撃したり隠れたりする兵がいます。
もし指揮系統があれば投降できましたが、
撤退も考えておらず、指揮もされず、後ろから打たれるような状況で
日本軍が来ても投降は難しいでしょう。
日本軍からしたら、突然攻撃されるのであれば、
少しの動きでも打たざるを得ません。

見回っている10人の日本兵が
1000人のいつ襲われるかわからない中国兵を見た時の
正しい対処方法を自分は想像できません。

3日で陥落するのに降伏しなかったのは
仲間内で監視して殺していたからだろうと思います。

この行為が残虐に映ったのかもしれませんが
日本軍が来なければ、
全員が逆に略奪されていた可能性は高いですね。
(その直前の上海の記者と意見が大きく違うのもよくわかります)

12/19
日本軍司令部は、軍服を捨て武器を隠し平服を着た中国兵25,000人が市内にいると発表

進軍したときにすでに
南京城外だけでなく、湖州など略奪や放火が
凄惨だったと言われています。

そのあと焼け野原の南京に
市民が返ってきて平和になりました。

当時から市民を殺しても国民党は、
日本のせいにして、外交の新聞記者に対しても
あることないこと宣伝していきます。

日本敗戦後は蒋介石は、南京など通ったときに
汪兆銘の一家をはじめ、親日派を静粛していきました。
(中国は一家皆殺しの風習があります)
また、中国共産党が来た後も南京で略奪していきます。

上海事変の状況のまとめ

このように自分たちが日ごろしていることは
日本もしているはずだと思ってしまうんですね。

自分たちに正当性がなく
日ごろの行いが悪いか、
誰かのせいにしないと維持ができません。

そのためプロパガンダとなるような偽のPRも
重要な要素になっていきます。
市民としては、全体が見えないため
こういう情報の何が正しいかが見えなくなります。

例え日本が敗戦後いなくなっても
日本のせいにして納得してしまう市民も出てきます。
(現場ではみんな焼け野原になっているし、
親日派は殺されてしまうので)

盧溝橋事件を日中戦争の契機にする人もいますが
学生の頃調べても全く意味が分かりませんでした。
(インターネットもなかった時代です。
おかげで無駄な時間を過ごしました)
明らかに目をそらさせるような言い方です。

自分たちが、盧溝橋から策略したから
浅い理解でうまくいったと思っているのでしょう。
実態は盧溝橋事件で失敗して日中は戦争していません。

日中戦争の契機はこのように執拗な、共産党やアメリカ、ソ連、イギリスなど
戦争を継続して侵略したい側の吹っかけということがよくわかります。

記者

記者名 証言内容など
ニューヨークタイムズ ダーディン 市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた

私自身は15日に城壁のすぐ外の揚子江岸で中国軍捕虜が約50人ずつまとめられ、
順番に機関銃で射殺されるのをみた。目撃した死者だけでも200人はいた。
虐殺というような話は当時、聞いたことはなかったし、目撃もしなかった。

スティール 逃げ場を失った人々はウサギのように無力で、戦意を失っていた。その多くは武器をすでに放棄していた。(略)日本軍は兵士と便衣兵を捕らえるため市内をくまなく捜索した。何百人もが難民キャンプから引き出され、処刑された。
ロイター  スミス 「連隊徽章を外して」、民家を見境なく「組織的に、徹底的に掠奪し」、15日までに中国人と欧米人の民家からは家財道具や壁掛け時計が掠奪された
スマイス調査 6県分を6組、それぞれ2人の調査員で16日間かけて行う。
成果は4県半(面積は6,315k㎡。東京都の面積の4倍)
949世帯の家族数の合計人数は4,423人(これを50倍した数、22万1150人、1世帯あたりの人数は5人弱)「兵士の暴行」による死亡、は2400人
「軍事行動」(爆撃、砲撃、銃撃など)による死者850人
「拉致された人」の4,200人 不明の150人
ジョンマギー 質問した際に逃走した中国人について「ただわずか一人の事件だけは自分で目撃いたしました」と最終的に回答し、殆どの人数は電文のみだった。
マギー牧師の日記には「私たちは本当は殺害現場を見ていません」と書かれている
ベイツ 中華民国政府の顧問
「埋葬による証拠の示すところでは・・」と目撃証言ではないようです。
ラーベ 「われわれ外国人はおよそ5万から6万人 とみています。」
「1日200体は無理だったそうですが、
私が南京を去った2月22日には、3万の死体 が、
埋葬できないまま郊外の下関 に放置されていたといいます。」シャルフェンベルク事務長や福田篤泰書記官は
「すべて中国人から一方的に話を聞いているだけではないか」と疑念を呈しています。
ティンパーリ 蒋介石国民党政府中央宣伝部顧問に就任
紅卍字会(こうまんじかい) 4万体(多くの記者や宣教師がこの数字をもとにしている)

現場で遺体埋葬を依頼した丸山 進の確認によると
1日当たり600~800体が限度であるため、
2月中旬以降およそ5000+10000体の死体を埋葬したはずとのこと
(出来高依頼にして、倍額出したが、さらに倍の人数を報告してきたということ)

崇善堂 10万体埋葬、極東裁判で採用された値
活動実績が怪しくほぼ信ぴょう性はない。
ジェームズ・H・マッカラム 「礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。若干のたいへん愉快な日本兵がいました。私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました」。なお同日日記に「私たちのことを丁重に扱ってくれる、たいへん気持のよい日本人もいることはいるが、他はおしなべて随分と残酷で、なぐったり、ぶったりするのを見ると恐ろしくなる」

※「城外近郊にあって不逞行為をつづけつつある敗残兵も逐次捕縛。下関において数千処分」したとの記述があります。

 

日本による対応 内容
処断 3万人ほど処断
連行、収容 4,000は観音門へ連行
下関で約5,500収容、その後ご釈放
江興洲で2,350人収容。その後、釈放
安全区内2500名収容

 

ユネスコの採用倫理の不明さ

このような不確実さだらけの状況で
ユネスコが記憶遺産に登録するなんて
そういう現実的な妥当性も判断できない機関だということがわかって
少しすっきりしました。

補足・殺害人数について

日本の問題部分の推定(私見)

問題殺人事件 20~ 50 人弱 、 問題 200~300件
捕虜殺害・処刑  8千~3万人

、「南京暴行報告」は安全区国際委員会が安全区(難民区)における日本軍の暴行を日本大使館、日本軍に抗議した公式文書です。現存する文書は444件のうち405件(39件欠)で、冨澤 繁信 による集計。中国兵が自分の罪を日本兵のせいにして報告した例もあり。

おまけ

南京戦 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%88%A6

南京事件論争 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E8%AB%96%E4%BA%89

【歴史戦第9部 南京攻略戦 兵士たちの証言(1)】「城内空っぽ。誰もいなかった」「虐殺あるはずない…」(1/7ページ) – 産経ニュース
http://www.sankei.com/premium/news/150215/prm1502150031-n1.html

歴史問題Q&A | 外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/

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