心で見る血の通った日本の歴史すとーりー~(8)終わらない侵略~


(7)内輪もめと権力争い

大きな技術革新

西洋などの大陸では
日本以上の規模で争いが絶えませんでした。

そこに、鉄砲の進化、天文学、蒸気機関などの発達
キリスト教(カトリック)に対する不満の高まり
貿易による財産目当ての争いが発生します。

地球が丸いことをを証明し
世界が一周できることを理解しました。

終わらない侵略

そんななか、他地域への侵略は果てしなく続きます。
海軍も海賊も大して違いはありません。
出身が違うだけです。

カリブの海賊というあぶれ物も生まれ、
アメリカは西部開拓という名の征服を行い
そして独立し、南北戦争という悲劇も生まれました。

すべて、食べていけないことに対する不満と
果てしない欲望の連鎖が生み出した歴史です。

武力以外の勢力と欲望

まずアジアの富を回収するベンチャー企業と
その利益を分配する株式会社を設立します。
それが東インド会社です。

お金の活用方法は、十字軍以前の時から
すでに把握していた債券発行団体が
いろんな国で貨幣を使い、
価値のない富を増やし、
世界を巻き込んでいきました。

 日本にもその流れが来て

遠いし、小さいし、ぼろを着た
貧乏だとみられていたのか、
あまり侵略はありませんでしたが

イングランドなどでやったように
江戸から遠い場所に
お金と武器をばらまき
そして刷り込みしやすい若者に食べ物を与え
治安を悪化させる流れが起きました。

問題が起こした藩は、上層部が裁かれ
一層コントロールが効かなくなります。

乱れて不安定になったところに
暗殺がはびこります。

攘夷(じょうい)かどうかは関係ありません。
最初は攘夷だと主張していた薩長などの若者たちは
コテンパンに負けた後は、
江戸幕府と同じように大攘夷(いったんは仲良くなる)に
なびいていきます。

そして幕府側であった薩摩も
数日で方針を転換します。

そのあとは長州と腕を組み
いたるところで戦争を吹っかけます。

そして、鉄砲技術の差もあり
簡単に政府が武力の前に敗れてしまいました。
(状況判断ができずに、誇りを保ったため
徳川方の藩の被害が一層大きくなりました)

親藩の関係

徳川家をサポートするのは、紀州藩です。
水戸藩は変わり者の光圀がいるように、
まったく相手にされていませんでした。

自分の手柄にしたかったため大日本史を編纂したり、
石高がないのに、紀州藩に張り合って
余計農民にしわ寄せが行ったりしています。

後は殺された井伊直弼の近江(おうみ)藩、
京都守護職を任されるぐらい重要な反でした。
あとは、会津藩。京都の治安悪化を受け
内政が厳しいくても守護職を引き受け、のちの会津戦争に発展していきます。

もともと慶喜も、水戸の出身で朱子学を身に着けていましたが
養子として、紀州藩の一橋家に迎え入れられました。
家茂との将軍争いは負けたものの、
長州藩が攻めてくる中、条件付きで将軍になりました。

礼を知らない世良修蔵が、
我慢していた会津藩に対して、怒りを買い
最終的には仙台藩に切られました。

それにより会津戦争が長引き
激しい戦いになってしまったのです。

無血開城なんて、まったく関係なく
若気の至りを超えるレベルで
日本のあちこちで戦争を長州は吹っかけています。

とうとう最後まで粘っていた
龍馬と軍艦を学んでいた榎本武揚(えのもとたけあき)や
新選組も技術力の大きな差に敗れてしまいます。

どういう政府が発生したかというと

それは、また次回に

(9)大義がなくなっていった国

軍事力

当時の火力差は圧倒的であり
幕府軍の射程外から
安全に相手を倒せるほどです。

それをかなり正確に知っていた大村益次郎は
次々と政府軍を破り
上野の彰義隊や、会津戦争など勝利していきました。

大村益次郎は、そののちの軍隊を提案し推進したり
靖国神社の鎮魂を上奏したりした人物です。

明治初期に やはり武士の恨みを買っていたため
暗殺されました。

横浜

当時開港した横浜は、東海道から離れ、海に近いものの行き止まりで
人通りも少なくさびれた場所でした。

徳川幕府は絶対に東京湾に入れるのは危ないことを考え
京都そばの大阪湾とともに、開港を拒否し

神戸と横浜を代替案として受け入れさせます。

そこならば市民たちと問題も起こりにくく
何かあったらコントロールしやすいという狙いがあったのです。

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