松岡洋右は戦中ドイツと組んだのは誤りだったと悔やんで死んでいった。


日本の国際連盟の脱退で演説した松岡洋右(ようすけ)。

当時の日本の状況

実はドイツと組んだのは、
ソ連と戦わないようにするための
アイデアだった。

当時日本は、日露戦争が終わり、
第一次第2次ノモンハン事件で、ソ連に楔(くさび)を打つも
シベリア鉄道など、ソ連の進出の恐怖に怯えていた。

その時、考えていたのが
ソ連と同盟を結んでいた、ドイツだ。
ドイツと組めば、ソ連は日本と戦いにくいとふんだからだ。

だが、松岡がドイツと組んだあと、
ドイツは宣戦布告し、ソ連と戦争してしまった。

日本は、戦争の中に入ってしまったようなものだ。

松岡洋右は、これを終始くやみ、
なくなるときには、友人に嘆いていたそうだ。
(何かの記事に一文書いてあった)

イギリスやフランスは、
ドイツが戦うところまでは思っていなかったが
ソ連とドイツが相いいれないことは十分可能性があると
見込んでおり、すでに日本がドイツと組もうとするときには
そういう気配が出ていたそうだ。

このようなことから

情報収集の難しさもあるだろう。
また、やはりそういう回りくどいテクニックに走らず
直接対応すればそういうことは、起こり得なかった。

 

日本には、もちろん日露戦争の伊藤博文のときのように
このように戦争しないように動いていた人もいっぱいいた。

ただ、あとひとつ届かなかったり
やりきれないことが続き、
あらゆる面で泥沼化していった。

日露戦争後の、情報を隠すようなながれであったり、
大手メディアが売上のために、無責任に戦争を煽り(あおり)
国民が (いいたくないが、アホのように)載ってしまったのも原因とも言える。

現代でも、国が馬鹿だと吹聴するメディアや
それに乗る世論がある。

何が本質で、何が本当かというのを
国民のある程度の人たちが理解し、
それを国民一人ひとりがサポートできるようにするべきではないかと思う。

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