お金の存在と認識。気づきにくい4つの矛盾


初めに

社会や生活を考えるうえで、経済や政治、そして歴史は重要です。

お金の重要性は特に言わずと知れたものですが、意外と義務教育の対象にもなっていませんし、知らない人や、考えても深くまで考えきれない人は多いのではないのでしょうか。

このページでは、個人的な金儲けではなく、社会的にみて、みんなが食べていけるというような目的で考えた時、お金の認識で見えてきた 矛盾を話したいと思います。

これは、地域、例えば日本内で、どの方向に倒すか総意をとっておきたいような内容でもあります。

お金の存在と4つの不都合

お金は腐らない

正確には”腐りにくい”ですが期限が比較的長い。長すぎる問題があります。

その方が便利だと思うかもしれませんが、表裏一体であるので、逆に守るべき制約がきつくなる側面があります。

そこにはお金の価値は、比較的変わらないという社会的な前提・期待があります。つまり変わらないように守らなければいけないという側面も持ちます。

そうできたとしても、まずお金が腐らないとどういうことが起きるか?

それは、お金と実態が乖離しやすいことです。

お金で買ったサンマは腐るか消費しますが、同一価値?とみなされたお金は残ります。

このようなずれが実態と乖離するのです。

もし、借用書として意味を持たせるには、お金には期限に限度がないためおかしな存在になっています。それは返す必要のない借金と同じ意味を持ちます。

お金の価値が減らないのであれば、お金に変えた方が得のような気がしますし、今必要のない働きまでして、もっと大事な時間とエネルギーを無駄にします。

このように価値を維持すると実態と乖離し、実体と整合性をとらないといけません。

逆に実態に合わせ、価値が変わるとなると、今はお金は無期限と思っている人が多くその調整が難しくなります。

デジタルなデータや、毎年とれる資源、レアな資源、労働力など、資源に合わせてお金を複数種用意すべきですが、そこを無理やり統一したため、お金の存在自体が、資源によって価値の変わるものになってしまっています。

お金の価値を測ること自体が無理で、ですが価値があると思っているのが現在です。

お金の価値

日銀のバランスシートをみても、 無から資産を取得できます。つまり

資産額 = n x お金の価値

お金は無限に作れる(変動幅がある)があるので、お金は 0 の時しかすべてのケースで式は成り立ちません。

お金の総量管理の無理さを拡大

そしてお金を経済の交換活動に合わせて、用意できたとしても、実際はお金が何度も利用されるため、n倍の量廻ることになります。しかしそのn倍は具体的にわかる人はいません。

だから、今話したことの内容も含めて、総量管理はそれほどうまくいかないのです。

不良債権化したとき

お金が腐らないため、社会視点で見ると、社会にはお金が残ったままです。

金融的に問題はありません。

銀行視点でも、利益が減るだけですし、不足するのであれば日銀や市場から借りればいいです。また決済業務は手数料なので、決済が滞ることもありません。

経済が滞ると勘違いしている人は、金属貨幣の名残による誤判断ではないでしょうか。

投資判断力が鈍く、こういうしりぬぐいに対してお金を大量に投入するということは無責任な仕事ぶりなので、銀行の給料は安いままでいいでしょう。

土地を中心とした投資判断あたりをする様になったときから、専門性は疑問的です。

日銀の利子

お金を増やす時は、利子込みで返す必要がありますが、お金の総量として増やす時にさらに追加で利子を要求すると (その分の総量がどこにあるのか) 、お金の総量管理が矛盾します。

一方逆に、矛盾しないように、すでに発行した額から取ればいいと思う人もいるかもしれません。社会的にみてください。

もし誰かが保持している分を確保するとなると、そちらの方で適切な量でまわっていたお金が不足するのです。

そもそも共有財産である円を渡すのは問題ですし、給料としてみても発行額に比例し毎年のように渡すというのは問題です。

つまり、必ず一程度のお金を日銀・国経由で支配されることになり、しかも常にだれかは利子払いの負担をする必要があるのです。

ねずみ講は無限であるから、現実的でなく違法であると同じように、日銀が新規発行する円の分に相当する国債の利子などは、現実的に無限の利子の深みにはまっていくのです。

ただでさえ、貸し借りする、貯金するには、社会的に見れば誰かが負担を追う必要があります。それでさえイーブンなんです。

利子をとれば雪だるま式に、一定額誰かの債務となります。

他人に無関心な状態だからでしょうか。

利子は誰かのために追加で働かなければならず、それを社会に、公害のようにばらまいているのです。

社会にばらまけは、自分から取り除いたつもりでも、そこに住んでいる人達も必ず影響を受けます。

イスラム教で禁止されていることからも、危ないことがわかるように、一旦利子の仕組みをとると、永遠の泥沼にはまります(インフレを起こして薄めることも限度があります)。

社会的にみれば、もう誰も借金を背負わない状態になりません。

社会に不幸な人を維持し続ける、ダメな金融の仕組みです。

アメリカは例のあの大統領が作った株式会社が中央銀行なので、目も当てられません。MMTもそういう意味で、政策が利きづらいでしょう。

逆向き

毎年生み出した富は、人から人へ分け合えますが、お金は逆に流れます。

お金を感謝のしるしとみるのであれば悪くありません。

しかし個人単位で、価値を生まないと感謝できないとなると、話がおかしいことに気づくでしょう。つまり働かないと受け取れないという自己中的な視点のみならず、もう少し社会的な視点で見ると役に立てようとする人たちの機会も奪っていることになります。

感謝ならば、もう少し分け与えてもいいですよね。

外に使えるようにするからこそ、このような矛盾が出るのです。

資源や生産楼の製薬ではなく、認識や社会に対する貧しさ(けちくささ)が社会の問題になっているのです。

そして

人はお金を求めるときに、余ったものや能力を分けるのではなく

無理してまでやると貧しくなります。

本来の豊かさは生産することにあります。

しかし、それを生み出す、資源や土地の方が豊かであるにもかかわらず、個人的視点に毒された結果、土地やアイデア、人をお金のために売るようになるのです。

だから、余計貧しくなっていきます。

金のガチョウは、お金ではなく土地や自然、つまり地球や宇宙の存在です。

そしてそれは調和しているため人間、ましてや一人でどうこうできるようなものではありません。

所有という概念が、人を分断し、貧しくしている大本だということは、とても気づきにくいことだと思います。

価値とコスト

お金は生活コストなのか、生産価値なのか、統一見解が共有できていません。

日本語は、共有財産ですが、ただで使えます。しかもものすごい数です。

暦、数学、その他の知識なども先人の知恵や苦労があってのことです。

また、紙や鉛筆を安く作れたのならば、周りの人が幸せになるだけでなく、その人たちに浮いた分、幸せになってほしいですよね。

しかし今のお金は、そういうことができません。

価値にこだわる人がいすぎると、そちらに引きずられて、みんなで幸せにする機会が乱暴にも奪われてしまいます。

お金の総量管理の失敗もありますが、上記のものと合わせて、

まとめ

このように、お金にはおかしなところが含まれており、それが実は、見えない範囲でとてつもない影響を与えています。

普段見えないところで貢献していることは、なかなか気づけませんが、確かに恩恵を受けているものなのです。親の愛情、先祖の努力、自然の営み、月や太陽による貢献などすべてを気づくことは難しいですが、それが豊かさを生み出しています。

そしてお金についても、正しく活用しなければ、毒も社会的に大きな単位で影響します。

だからしっかり学び、どういう風に使うか、社会できっちり決めていきたいと思いますよね。

そしてみんなの生活を大事にして、お金の存在を2の次、3の次にしたいですね。

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