社会全体が豊かになる視点でお金が廻らない3つの大きな原因


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お金が廻らない原因

※個人視点の稼ぎやお金儲け主義のような話は対象外です。「みんなが食べていけること」を軸に、お金を道具としてどう使えばいいのか検討した内容の一部を話します。

<影響度順>

  • a. お金の絶対量が不足
  • b. 生産力がない
  • c. 稼がないと交換が使えない:腐敗を生み出す原因

bが原因といわれますが、スーパーや家電量販店の品ぞろえ、車の在庫、排気量を考えても、bが重要だとは思いません。

実際今のバブル (1980年代) 以降の30年の状況は、a でしょう。日本に起きたいわゆるバブルの性質を勘違いしている人も多いですが、実質問題だったのはバブルではなく、ほぼ無担保融資かつ実質所得税0%の土地ころがしのケースが、銀行と会社の連携でできてしまったことです(当時法整備済み)。

aについては、日本を共有財産としてみた当たり前の視点から、少し近いところ(国債)が議論されていると思いますが、ポイントは少し違います。

その時点で銀行に社会性が低く、金融が理解できていないため、悪影響が大きく、保護する必要はないといえるでしょうし、土地担保融資しかできなくなっている時点で、融資能力は極端に時代遅れ、能力低下があったとみられてもおかしくはありません。つまり、人が一つ一つ検討する能力が低下したならば、大部分の銀行業務を見た時、銀行は合併して、システマティックに小さく効率化してよいはずです。

それ以降は、子供が暗闇を怖がるように、インフレを理解せず極端な締め付けを行った日銀の政策ミスではないかと個人的には思います。

実際プラザ合意(’85)で円高不況で日本人が働きづめであれば、なおさらお金を市中に流すべきだったろうと思いますが、その振り返り(インフレ懸念)には、合理性があまり読み取れません。

お金の不足とケインズ

1930年ごろの世界恐慌は、お金の量が不足していました。そのため、たまったところから吐き出す方法を考えるようになったのが先達の教えの主流派から、現実を直視しようと切り替えたケインズです。(当時はなぜ不況かからスタートしています。その原因がお金の量だろうと目星をつけたのです)

そのころ日本は東北不況が飢饉のタイミングと並行して悪化し、農民の暮らしをよくするために高橋是清や青年将校が動きだし、2・26事件が起こったころでもあります。(226事件はしっぽ切りのようにうやむやになったようにも見えます。)

お金が不足すれば商売が滞ることになります。だから、輸出を盛んにすることはケインズは進めていませんでした。(それはもちろん相手国のことをおもんばかってのことです。それは1914~年に起こったWWIやドイツの状況、そして戦争につながる可能性も考えてのことです。)

そこでお金のたまっている政府から、市場に流すことで活性化させようと考えたのが、ケインズであり公共政策です。

これにより市中のお金は増え、買う機会が増え、生産機会が増え、無事雇用が増えました。

ケインズは戦後すぐになくなっています。

その後、野心が強すぎる、フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、3文字のニューディール政策を推し進めますが、思ったような効果が出ませんでした。

このニューディーラー 達は、立場が危うくなりました。

個人的には生産という視点や社会的視点が弱かったからポイントがずれていたように見えます。お金を吐き出すどころか、どこにお金が偏っているのか、なにが生産に結びつくのかなどもろもろの視点がありません。

のちのポストケイジアンも同じような 視野狭窄にはまっているように見えます。(賃金にこだわっているところなど)

日本は、池田勇人内閣の前に、農業と土地の推進と戦争景気で商売が活発でした。なので、すでに2倍の所得は8%ともあれば10年どころか9年で達成してしまう状況です。ブレインはそれを進言し、所得倍増計画を出しました。さらに、道路網の整備でそれを加速しました。うまいこと日本の勤勉さ、戦争に負けたくやしさなどとかみ合ったと思います。

田中角栄はバラマキ、中国、農業、道路、公共施設などで、お金を特定のところにバラマキました。お金の量が多かったので、遠めの国民や小売り、遠いタクシー業界や水商売にもお金が流れていきます。

消費税はこのお金を市中に流す入り口から遠いところへの流れを滞らせる性質があります。

当時のニューディール政策のアメリカの話に戻しますと、結果が出たのは戦争景気のせいともいわれています。

FDRは選挙に当選するために、黄禍論(有色人種差別)を交えたり、戦争に活路を見出そうとします。一方ユダヤ人やポーランド人にはいい顔をする2枚舌ぶりです。

それで、むりやり、日本に軍縮と経済制裁を行い、ドイツの交渉を決裂させ、JFKの裏にいる父をチャーチルから解任させ、ドイツが宣戦布告しました。続いて日本に対して、不誠実な態度で交渉を裏切り、蒋介石地方政府に対して支援し、戦争を継続させて日本の経済切れのチャンスを目指します(それなのに、A級という平和への罪を極東裁判で裁くのです。いかに狂気じみた大統領を選び、戦争に扇動されたかわかります)。

フィリピン、シンガポール、真珠湾奇襲を予期し、確実な情報を得ていたアメリカは、共産主義の巧言にも乗り、ハワイの索敵や、戦艦の退避を停止させています。

あまりにも強かった日本に対して、商船爆撃、焼夷弾、民間爆撃、捕虜虐殺、TIME誌などを使ったうそのプロパガンダ管理、原爆で手段を選ばず対応します。

一方昭和天皇は泥沼の戦争を好まず、和平工作を戦前・戦中・戦後とやり続けていましたし、原爆の開発をアメリカ人の人命も考えて停止したといわれています。

ケイジアン達が、うまく説明できなかったのは雇用と公共にこだわりすぎたからでしょうか?お金の偏在や、お金の量について出所がつかめなくなります。

そしてスタグフレーションを説明できなくなり、今の日本の野党のように相手のできなかったことを指摘することにより、古典派(主流派、新古典派)が改善策も出せず戻ってきてしまいました。

実態よりも数式や、需給にこだわりすぎるきらいがあります。実態が心理であることは変わりませんし、完全市場という前提にこだわりすぎだと思います。また、需要と供給とお金の最小値に商売が引きずられるという視点がありません。なので需要が足りないだの、生産効率が低いだの話ばかりです。

IMFではそれを引き継ぎ、アジア危機(’97)でアジアの国々が疲弊し、ギリシャ、イタリアが破綻しました。のちに緊縮財政のミスを認め、積極財政派に変わっています。日本の消費税が愚策だと2019年ごろ言われているのは、その反省があってのことです。

しかし日本のメディアや財務省は、少数派の方の意見のみ取り上げているようです。

ケインズ流派のMMT

その戦争好景気の後、スタグフレーションがおこりました。アメリカが生産しないにもかかわらずお金を発行して 文字通り黄金が尽きかけたからです。

MMTも金属貨幣から信用貨幣への転換に合わせた実態把握を発表した論文です。ケインズの時と同じように雇用から生活を安定させることを念頭に置いています。

個人的にはもっとダイレクトに生活から、必要な生産を生み出し合う社会を考えた方がダイレクトだと思います。雇用を軸にすると生活に必須の生産という視点からポイントがぼやけてしまうからです。

お金をもらうことのうち、詐欺や泥棒、賄賂などは含めませんので。仕事の本質を理解するという点からは、仕事でお金をもらうという視点では、間違う人が現在も続出しているとみています。

このような観点が混じっては、仕事にやりがいを感じない人、流浪する人、怒って辞めてしまう人がいるのはもっともだと思います。

信用貨幣に合わせたモデルでの再改良

MMTは雇用を目的としています。そこはずれはあるものの一番正しく現実をとらえ、理想の社会に近いと思います。具体的には信用貨幣という媒体で経済のモデルを描いています。

中央銀行が発行したお金を、国債という形で市中にながすことで、市中のお金の量を増やせるという視点です。それ以外はケインズの考えと同じようなものです。(間違っていないならモデルを書き換える必要はない)

そもそも日銀が供給を気にしていないのも問題ですが、お金を市民に渡す方法自体の議論がないのが問題です。

市中におけるお金の量がポイント

MMT派とリフレ派・主流派(新古典派)らの対立は、ここに議論のポイントがあります。

マネーサプライ*n回転が GDPに影響するという式でいうと

マネーサプライが市中にベースとして存在する必要があります。

しかし、借金という形でしかお金が生み出せません。

アジアを混乱に陥れた人種差別のウィルソン大統領がこっそり作った中央銀行のシステムを、理解せずまねたせいではないかと思います。陰謀論かは知りませんが、ベースマネーの供給に利子による強制力は不要だと思います。

少なくとも、お金の流通量不足の解決においては、流動性のわなという袋小路から脱出できるような手段ではありません。

生活必要知識の圧倒的不足と詐欺師・やくざの地上げがのさばる現状

これが民主主義や資本主義の勘違い、お金の無理解と組み合わさってなかなか借金論という財政の話から抜け出ません。金融の視点をまず考えなけれべいけないのですが。さらに日本は儒教のように先人を大事にしたり、はっきりものを言わないため、反省や振り返りととても下手です。

消費税はまだ論点がずれていますが、過去の事例からも、不景気時におけるマイナスインパクトは定量的に明らかに読み取れます。

数字的にも小さなインパクトにおびえ、大きなマイナスインパクトを享受すべきというあほな状況が何十年も続いています。数字で表せることは数字でもチェックすべきです。

本当に、貧血の血行不良の人にまず働いてもらうのが筋か?

貧血の人に、信頼がないからまず稼いだら血を上げますといっているようなものです。平均的には、元気な方が稼げるに決まっていますが。子育ても教育も実態を見て支援するべきで、高校無償化は、それを築く前にやっても時間を浪費することなので個人的には反対です。

これが貧困のわなに陥るきっかけ、孤立や凶悪犯罪、非行、引きこもり、早期退職、日本の土地、防衛、日本事業や技術の投げ売りなどすべてつながっています。

なぜ第2次安倍首相の3本の矢は失敗したのか?

白川総裁らが出し渋っていたあと、2013年やっと待ちわびた金融緩和ができました。しかし、トリクルダウンどころか、増えなかったのは、市中に流れなかったからです。それは、国と癒着したところ、金融に流れたからです。

例えば日銀が国債を購入することでお金を増やしましたが、国債を買えなかった銀行は日経平均の株に流れます。それでも余ると外国債などに流れるのです。

つまりお金を増やしても、その市中への通路が閉ざされていたため、ドルやアメリカ景気の買い支えなどを日本がしただけになります。

市中への通路?

市中への通路は、そもそも論で日本人全員に共有財産であるにも関わらずばらまかないことも問題ですが、安倍首相は当初の予定の第2の矢を放たなかったことです。財務省はパイが変わらないと思っている人ばかりなので、思考のフレームが外れません。

これは財政の問題ではなく、金融の問題なのです。財政上密着するのがだめであれば分離すればいいですし、利子を0%すればいいだけでしょう。

インフレを気にしすぎる人がいますが、量的緩和に対しては何の反応もなされないことや円高の時に反応しないことから、無理解なのだと思います。

まず、市中に流すということを考え、日銀はそれを国民や政府に議論を投げるべきでしょう。ただそれができないようなので、国民がやるしかありません。

ピケティの証明とお金の量

当たり前ですが、お金稼ぎが得意な人や、商売が好きな人がいます。

そういう人にお金の流れがいくのは自然なことであり、社会的に見てもしっかり仕事として社会に貢献できていれば問題ありません。

このとき、お金の供給量が一定であると、特定の人にたまり、結果的に社会あ的にみるとお金不足の状態と実質同じになるということです。

つまり、こういうときも、お金を提供しないと経済が滞るのです。

まずはみんなが食べていけることを優先してお金を使い、外国に対する尊宅は変動為替なので後回してよいかと思います。日本人が生活できるために仕事をしているのですから、そちらが優先です。インフレに対してもデジタルコンテンツについてはそれほど心配はいりませんし、デフレの時に旅行や買い物を控えるよりも、生産効率がMaxである非戦争状態の方が豊かさは高いです。

なんなら、インフレ懸念があれば、お金をお金持ちに節約してもらうか、増税で市中のお金を減らす、インフレ懸念時にお金と引き換えに関白や、正二位、伯爵などの名誉を与えるなどすればいいだけです。

あと、もう一つの重要なお金の滞り方の原因は、例えば、子供は必要分までは稼げないという視点が抜けていることです。それはのちに話します。

お金に対する理解と勘違い

すでに信用通貨に代わっている

またほかにはお金の理解不足があります。ひとつは71年にアメリカが破綻したことをごまかした表現で、いまいち理解している人が少ないことがあります(ニクソンショック)。

それを同盟国にだまって、被害をかぶせたのがニクソンショックです。当時日本では知らされておらず、市場が開いていたため、日本はドルを担保(実質黄金の流出)をすることになりました。

ちなみに、アジア通貨危機やGSOMIAの時のウォンスワップも日本が担保して、韓国や中国の電化製品が伸びていきました。そして日本が疲弊しています。

つまり、アメリカはこの時破綻をして、黄金を担保にすることはできなくなりました。1$は1$を担保するという子供みたいな話に変わったのです。

実際イングランド銀行も2014年ごろ、季刊誌で信用創造は万年筆マネーに代わっているから誤解せず理解してねという論文を発表しています。(銀行に貯金は必要ない。まず預けるというステップは本質的なことではなくなった)

1990年のマネーサプライの日銀論争も岩田規久男の方が、現実に沿っていると思います。日銀側は、理解せず、権威に頼った責任転換にしか見えません。もうこれは日本国民が結果に対する自己責任で権限をはく奪してチャレンジすべき状況なのではないでしょうか?

つまりバンクはお金を集める、土手の役割ではなくなったのです。

今は完全に Goldから、信用貨幣に性質が変わりました。裏の実態を理解する必要があります。

お金は借用書です。1万円分の借用書が実態の何を指すのかはわかりませんが、それを借りますということを交換で1万円札を受け取るのです。

お金の実態は生産とのバランス、モノ・サービスなどの流動性がカギ

それを誰でも代わりに行使できる権利を残したり、分割して流動性を高めたりしているものがお金です。

お金は単独で存在せず、裏側と一体となっています。裏とは未来の信用であり期待であり、それは日本円ならば、日本の生産力にかかっています。

生産力には、交通などのコストもかかってくるため、日本人の誠実性なども影響してきます。そして日本円は東証一部の企業や日銀の私物ではなく、日本人の共有財産でもあります。そのため日本の効率に沿った管理を日銀がしなくてはいけません。

日経平均という実体のない表面的な数字を追い求める自称金融屋は、自己中で何も社会的に理解していません。お金でしか見えない投資家や銀行家も同様です。

ダイレクトに賃金を上げても、中身がないため意味がなく、悪いインフレのように混乱が起こるだけです。米価、銀価を統制しようとして、実質今のシュリンク府レーションのように、原材料が上がったり小さくなったり、粗悪になったりします。

また、特にその増減するお金をどうみんなに渡すかという視点を話す人は全く見当たらないのが不思議なことです。

みんなが局所的に個人主義で見るお金は矛盾した性質で調和がとれない

多くの人はお金の都合の良い面だけ見て、悪い面は周りに捨て他人に押し付けようとします。社会的にみればそれは不整合にしかならず、矛盾を内包しているのです。

お金は消費できるか?個人主義に侵された考え方

いくつか話すと、まずお金自体は無くならない不自然さがあります。

例えば、個人で視野を狭く見ると消費しているように見えますが、社会的視点でみれば、食べ物の芋やサンマなど、モノ・サービスなどはなくなりますが、同等の価値で交換したはずのお金はなくなりません。

お金の量の管理

また、レア商品であろうと、土地であろうと、デジタルコンテンツであろうと、サービスであろうと同じ円で交換します。一見便利なのでよいように思えますが、ものにより供給能力に制限を受けるので、日本円の量の管理と生産バランスとの整合という意味において、なるべく正しく管理・統制することはほとんど機能面で見てもできません。(日銀のマネーサプライの定義を見ても、それを理解、さらにはコントロールすることは眼中になく、実質されていないようです)

このように、貯金など整合性のとれていな性質を人はお金に期待して、正しく運用することを考えられなくなっています。

個人主義、所有が戦乱のような争いの世の中に変えている

資本主義の勘違いと、所有欲におぼれ事業を末端まで所有することで、墾田永年私財法から、戦国時代の混乱が起きたように、今は世界中で自己中心的なやりとり、盗り合い(飢餓道)、無理解(畜生道:全体への理解、方向性の理解のなさ)、争い(修羅道)と、地獄のような状況が起きています。これが孤立化や未来への失望、そして凶悪犯罪をする人される人、腐敗を生み出します。

もし一程度誰でも食べていけるのであれば、日本人ならばもう少し、まともな流通、医療、教育、子育て、などができるでしょう。治安が下がれば、儲かればうその宣伝、食品偽装、医療の出し惜しみ、子育て・教育者への出し惜しみ、流通・生産の混乱など他国に見られるような事態が起こり、余計コストがかかるようになるでしょう。

ラストワンマイルの目立つところだけ、最後にお金をとっていってしまっては多様性や豊かさは失われ、現状実際に起こり始めているように、余裕がなくなります。

日本は戦乱の世から太平の世に変われたように、強者一強が出る前にショートカットできるはずです。

働かざる者食うべからずという恨み節

お金や社会システム(所有や、資本主義の誤解)などから 、そこに社会的に稼がないと使えないという、あまり筋の通らない制約があります。

時間軸、水平軸で社会的に見ても、ひとりの人であろうと子供から年寄りまで経験します。社会には老若男女が幅広く存在します。自己中心的にみて、子供に「稼いでから食わなければならない」と言うバカはいないでしょう。

しかし残念ながら、今まさにそういう社会システムを国民が常識としている状態です。

将来生産の担い手、社会を作る担い手を育てることは局所的にみることではありません。お金の裏が見えていなことから、いかに今自分が多く確保するかに固執する人ばかりです。

二宮尊徳、八田与一、中村哲など、が示してくれたように、黄金のガチョウは毎年生産可能な、土地です。毎年生産するから、無限の富に近いのです。稲や人材は黄金の卵です。

奪い合って、擦り付け合っても、それはすぐ飢えるのは、生産の流れに気づいていないからです。パイを分け合うことではなく、パイ自体を作るという社会的に調和の取れたフレームで見る人が増えることを願っています。

社会的視点の軽視が、お金や経済、政治、歴史、国語の軽視と、無理解につながり、民主主義が衆愚政治になり得る。

外科手術を多数決で行えば、死亡する確率は激増するでしょう。それが衆愚政治です。微分積分を一から独学で行うのは大変なことです。しかしそれを全国民がやらなければいけない義務として理解している人はどれだけでしょうか?

議員やメディアのせいにばかりはしていられません。自分で正しい知識・判断の醸成を行うことは日本人の責任であり義務です。

政治、経済はやくざによる地上げのようなもので、正しい考えを追い出そうとする勢力、自己中の泥棒・詐欺集団と戦わないと自分たちの生活は守れません。

安全は待っていてもやってきません。国会議員は国民が選んでいるので、正しい考え実行能力のある政治家を選ぶ必要があります。

いまだに政治に関する義務教育のなさに、政治家の中の大多数はやくざと本質的に変わらないあぶれ者集団であると推測できます。このなかで戦わないといけないのです。今やらないと悪いほうのカルマ(業:ごう)がたまり、本当に子孫に負担を残します。借金という表面的な表現ではなく、実体を見る必要があります。

実際大航海時代の集大成で、日本が戦っているときに、私利私欲に紛れた中国が裏切り、戦後は朝鮮が裏切り、人は未来において、他人を構えなくなってきました。

就職するために勉強している人、お金をもらうために仕事しに来ている人はあまり相手はしていません。

勉強において少なくともそのジャンルに興味があるから勉強しているのであって、少しでも難しいからやらないとか簡単だからと思う人は邪魔な存在でしかないです。

仕事も少なくとも、社会・生活に役立つことが自分ならできるからやっているのであり、その観点が1mmもない人は来てはいけません。満員電車から、エネルギー、環境汚染から、土地問題などからみても、邪魔でしかありません。

自分も負の思考にとらわれていたからわかりますが、本人たちは気付いていないでしょう。

よくある間違い

不景気の原因で、「機会がない」というような表現が言われますが
意味は必ずしも生産力がないということではなく、このように大きないくつかの要因が考えられます。

格差を嘆く人が後を絶たたないが、
偏ったり、格差自体は関係ありません。

忘れているかもしれないが、ある程度の豊かさが社会的に広く享受されているのであれば、他の人より格差があってもどうってことないのですから。

[その他のよくあるわかりやすい原因]

  • お金の流れが悪い:システム不備、消費税
  • (お金の知識不足)

日銀システムは部分的に知っている人もいるかと思います。

多くの銀行で、午後3時なると閉まることは不便ですが、1日単位で送金が完了するシステムは世界でもまれだそうです。

そこでは実質物理的なお金の存在もほとんど必要ありません。

チャップリンのモダンタイムズや、トムソーヤで有名なマークトゥウェインの金ぴか主義で皮肉られたように、作業分担すると効率的なようで、全体や方向性が見えない人が増えて困ります。

作業量で報酬をもらおうとする人がいますが、それでは仕事にはなりません。信頼できない中途半端な仕事は、全体の仕事から見たら、追加作業で見直しや整合性をとらざるを得ず、実質小さな貢献にしかなっていないことに気づいていない人は多いでしょう。

結果、衆愚政治のように、袋小路にはまる自己中な発想が増えると、大きく効率どころか効果的な動きはできなくなり、悪臭ばかりまき散らすようになります

所有という、毒

レバーや肝が栄養価が高くても食べ過ぎれば、悪影響が大きくなります。

所有欲も生産力が増えるかもしれませんが、社会の共通基盤まで個人で所有させれば生活に支障をきたします(医療、教育、エネルギー、食事、住まい)。

例えば、二宮尊徳の報徳思想には、分度、推譲とあり、東大名誉教授である宇沢弘文氏も、共有財産まで所有しては、社会が混乱するといっています。

現代では1社で行うことは困難だと思いますが、松下幸之助など、ダム型経営で、社員の生活を保障しつつ実現し、まず生活を中心に置いていました。

一方最近は、しっぽ切りが横行し、国や地域でさえもしっぽ切りのオンパレードになって、さらに忙しさからかつかつになって余計勉強したり、考えられなくなっています。

生命を脅かす、土地などを取り上げ、無理に働かせるのは奴隷に外なりません。24時間営業のようにそこまで無理に働かせて幸せでしょうか?豊かといえるのでしょうか?

周りが豊かでなければ、その中にいるあなたも所有されることと社会的視点で見れば同じです。深淵を覗けば、それもまた覗かれているのです。

また争いが増え、最後だけかっさらうような、一時的な豊かさを求める(実質犯罪ですが気付いていない)行為は、無駄な争いです。

またこれらは、既得権益や、お金により奴隷のように働かせたり、意味のないこと悪いことを仕事と称して自分も含めてごまかす人を増やします。これは悪い道に導いているということと同じです。

これらは腐敗を生み出し、社会が不安定になっていく原因のところでもあります。いずれ、医療、貧困、教育で、大多数の人が袋小路に落ちていることに気づくまで悪化するかもしれません。

共有財産の末端まで個人所有は安全?

生産力が向上したならば、共有財産である日本円を国民全体にくばっていい、配るべき です。すべてを私物化してはいけない。月の裏を所有できる、宇宙を所有できるのは自分を自分で持ち上げるようなものです。

いずれ、生産が滞り、多様性も失われ、致命的に貧しくなっていきます。

ありの世界では、一部の在りは働いていません。それは緊急時や寿命の交代時に変わりに働くのです。つまり、予備兵です。人の世界も同じです、一人の単位で働かなければ生きていけないわけではないですよね?

社会的視点まあまあ豊かであれば、無理に働かせる必要はなく、好きな人が好きなことをやればいいのではしょうか?

そしてピンチになったら、我慢して働く。今まで日本は防人、元寇、日露戦争など何度も乗り越えてきました。宇宙時代になってもまだ、島国である国ならばとてもやりやすいはずです。

未来の信頼できる大人を愛情持って育てることこそ、子宝の本当の姿ではないでしょうか?そしてロジカル的にも、生産力がますのは目に見えるようにわかります。

円高不況やコロナウイルスの時も、お金やさらには外貨に対する勘違いから、間違った政策を行い、国内を衰退し、外国に明け渡し、空洞化し、いいものを生産できた人たちに、消費税で罰を当て、生産力と、需要確認機械を損失させてきた罪は重いです。

東日本大震災や台風・地震の被害の時も、増税して節約するのは逆です。未来への投資であるなら、国債発行が筋です。金融的にインフレ懸念があるのであれば、寄付や増税を余っているところからすればよいだけです。

それを今気づいて、修正をかけていきたいというのが本当のところです。

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