【おもいっきりざっくり】4つの経済流派を説明!主流派・リフレ派・ケインズ派


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4つの流派について、現代の現実にどう合うのか、という内容をざっくりと整理しました。お金儲けの視点ではなく、社会的視点(マクロを重視)でみんなが食べていけるを軸に現実的な方法の観点で、整理しようとしました。
主な流派 派生 特徴
主張
支持者
A.
主流派
新古典派
アメリカケイジアン
国富論
見えざる手
完全市場
需給関係

アダムスミス
B.
リフレ派
マイルドインフレ インフレとデフレの間での経済成長 ニューディーラー
岩田 規久男,日銀黒田総裁、高橋洋一、上念司、田中 秀臣、
安達誠司
C.
ケインズ派
ポストケイジアン
MMT
雇用
お金の量
ケインズ

ケイジアン

(MMT寄り:ウィリアム・ミッチェル、ランダル・レイ中野剛志、三橋貴明、島倉原、藤井聡)

D.
マルクス
社会主義
MEGA
労働価値の搾取 マルクス 日本共産党
社会党

※この部分は現実に即している、扱いにくいなどの自分の意見を交えますが、各人で自分なりのやり方で納得できることや容認できることなど批判的視点で見てください。

全体的に大事なポイントよりも、論点になる箇所を議論しているように見えます(シンプルだからか?)。

A.主流派

学校などで教えられる内容です。

古典派経済学

アダムスミス:道徳情操論(1759)、国富論(1776)

ジョンロック(経験主義、人間悟性論(1689 :人間の知性を獲得するために認識していく過程)、社会契約説、労働価値説)、ケネー(経済表)、テュルゴー、 モンテスキュー、ルソー の影響を受けた部分が大きいといわれています。

ケネーは、経済の循環を表現しました(経済表:1758)。そして富の源泉は、農業の余剰であると考えており、また食料のあまりを消費する存在(地主(パトロンでもあるので否定しきれない)、商業)の意味も否定していません。現代風に言い換えれば、農業の効率化で多くの人を養い、余った労働力を、兵・軍やその他軽工業、商業、工業に割り当て発展することができるという視点です。

テュルゴーは、重農主義であり、ケネーの経済表を啓もう(教え広げ)しました(1769~)。斎藤道三や織田信長のような自由市を目指したが失脚しました。

モンテスキューは、法の精神(1748)を表し、3権以上の分離を主張しています。

ルソーは、自然や合理性にも注意を払い、人間不平等起源論(1755)を表しました。カントが熱中した「エミール」(1762)では、子供の教育はまずは心や精神に関して、間違いから守ることだという主張が入っています。

このように、 スミスは 自然状態や、経済循環、人間性から、社会の成り立ちに関して意識を持っていたようです。

スミスは もともと、個人と社会のバランスを、共感、善意、罰、常識、道徳、報酬、正義、自制心などの観点からどのように取ってまとまっているかを論じた「道徳情操論」を表し、そのあと、「法や統治による一般理論」の完成を目指し、その一部が国富論といわれています。

国富論では、年々労働から必要なものを生み出すことを富と定義しました。分業による労働価値の効率と資本の蓄積(食料の余剰など)から、国防を重視し、 植民地化や輸出による貴金属の富(重商主義)を非効率さの面から批判しました (重農主義もある意味批判しているが、工業などの比重も加味(非生産的部門のサービス業の重要性など)しているのかもしれない)。

実際、自由放任主義(レッセフェール)や見えざる手は、主な主張ではなく、一部の資本家が自由競争を求め、誤用して利用しています。

その他の新古典派経済学(ケンブリッジ学派, オーストリア学派、数理学派 )

政府の役割と対応にも範囲を広げはじめ、完全な放任(レッセフェール:自由放任主義)から、一程度の秩序を求める内容を含みます。

ワルラス

完全市場を前提とする一般均衡論(1870,価格理論)の ワルラスはすべての国土の国有化を提唱 しつつ、 完全競争社会、そして完全な人間社会を描こうとしました。

リカード

イギリスの金本位制停止の際に紙幣増刷によるインフレを目にしたリカードは、金本位の復活を貨幣数量説をもとに望みますが、金本位では経済に十分な貨幣が足りませんし、監視・抑止・増税などによる紙幣のコントロールに注意することで、デメリットを抑えられると思います。

貨幣は中立であり、生産や雇用に影響を与えないとされる貨幣数量説がありますが、実際効率化により仕事がなければ、賃金払いは不要になりますし、そうなれば生活に必要な貨幣不足から、取引が抑制され、引いては生産が抑止されるケースもあるため、当てはまらないだろうと思います。

重商主義の批判に対して、マルサスと輸入による自由貿易による優位性を説きました(1817:経済学および課税の原理)。確かに生産効率(資本投下率)がよく、豊かになれる部分はあります。ですが、お金の分配に対する考慮がなければ、イギリスが茶を求めたため銀を流出させ、アヘン戦争になってしまっています。そもそもアダムスミスらは貴金属が富の源泉ではないという批判でした。

リカードも同意したマルサスの人口論(1798)においては、いずれ食料が不足するというような説を唱えましたが、そもそも人が住むところはほぼ平面的であるため、幾何級数的に増えず、また突然食料が足りなくなるようなことはないため、人口の増加も算術的に増えるにとどまるのでそこまで心配する必要はないだろうと思います。また窒素やリンの化学技術力の向上から、化学肥料を大量に用意できるようになったことも大きいです。

マーシャル (ケンブリッジ学派)

社会主義者を自称したジョンスチュアートミルは自由論(1859)で、判断力をつけるために自由が必要で、危害を加えない範囲での国家に対する個人の自由を解きましたが、参政権において、多数派による暴力的な支配には警戒をもちました。

セイの販路法則では、貨幣による交換は物々交換であり、生産されたものは直ちに販路ができ?、貨幣不足や需要不足とならないという表現から、生産を増大すれば経済が大きくなるとしています(1803:フランス、経済学概論)。

限界効用説(1870年代オーストリア学派、メンガー:生産品質が良ければほしいがよくないのであればそれほどほしいと思わない。消費財の劣化から、需要、そして生産量が変化するケースを想定)もある通り、生産物は腐りますし、余ります。現代では明らかに無駄な生産(在庫)もあれば、貧困により貨幣交換が成り立たないこともあれば、オイルショックやコロナウイルスなどのケースでは、モノが不足するケースもあり、言いたいことがよくわかりません。

実際ミルには生産につながらない消費があるケースで反論されたり、長年使われる耐消費財のケースを引用して、一般的には否定されています。

アルフレッド・マーシャルはこのミルに触発され、人間の内面的幸福に関心を持ち、ロンドンの貧民街の状況を目の当たりにし、貧困を救いたい使命を抱き経済に転向しました。

マーシャルは、理論が現実から乖離すれば「単なる暇つぶし」に過ぎないとしており、現実の課題と理論上の問題を混同しないように警告していました。これは二宮尊徳も道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は戯れ言(ざれごと)であるというように同様のことを言っています。

経済学者は、cool head, but warm heart 冷静な頭脳と温かい心 を持たねばならない とケンブリッジ大学で講演するなど、かわいがられたケインズも尊敬の念を持っていました。

マーシャルは限界効用説(おなか一杯の時は価値が減っていく)、流通速度の逆数の定義 GDP = 価格 x 数量 = マネタリーベース x 流通速度( 流通速度 :マーシャル係数kの逆数)など、一般均衡説や価格変動の分析に対して貢献しました。

利己的な人間でのモデル化は拒否するものの、近代産業においては価格は静止しないなど柔軟で現実的な解釈(不完全競争社会の中での、部分的均衡論)で注意を呼びかけました。

「 産業経済学 」(1879)を著す中で、タイトルにあるように社会全体よりも産業という範囲までしかあらわされていません。シンプルなモデルを目指すと小さくなり、よりマクロを目指すと現実から離れ、複雑になるという状況からはあまり進めていないように見えます。

失業

生存に必要な分生産されていれば、必要な仕事にありつけない失業状態が存在しないという意図はわかりますが、おおざっぱな捉え方だと思います。

生産物を分配する観点がないため、大きなギャップがあるように見えます。

そして政府による介入が意味なさない(無駄に終わる)のはこの前提があるからですが、この前提は現実では満たせません。

新古典派経済学でもなぜ失業者がいないのかといえば、必要な分の生産量に対して仕事があるからで、適切な分配がされているからという意味だと思います。

現状は、適切な配分がなされていないため、仕事がない人は生きていけない状態が存在します。これがケインズ派と大きく主張が異なるポイントです。

古典派経済学に対する批判

 生産が大事だということは同意しますが、生産効率や価値という観点にこだわりすぎではないでしょうか?

失業以外にも、社会全体のマクロ視点(みんなが食べていける視点)も弱いですし、完全市場が存在しないにも関わらず理想的なことにこだわりすぎにみえます。
     →現実にどう適応するのかがない

数式など枝葉末節にこだわりがあり、現実で何を目指すのか、何がコントロールできるのか不明遼でわかりにくい。→現実との兼ね合いが見えないことから個人的に興味喪失してしまいます。

完全市場ができないにも関わらず、それについて言及しない。そしてそれげ現実的な世界ではクリティカルにもかかわらず、モデル化できることや数式化にこだわっているため、政治レベルで役に立ちにくい原因かと思います。

中野剛志、ケインズ、ポールグルーグマン、ピケティなどは古典派経済学が現実に使えないことに対して批判をしています。

B. リフレ派

落としどころとして、インフレとデフレの間での経済成長を目指しよいところどりを主張しています。そのためバランスをとる必要が出るので、インフレターゲットを設定することがあります。

目的としては、生産効率を上げるために、遊休資産の活用を考え、それは需要が足りていないと分析しています。

マネタリーベースの拡大や、需要の創出には賛同しますが、それを判断する指標がない(現実的でかつ直接的・具体的でない)ことが気になります。まさに目的ではなく手段論です。

例えば、連動する判断基準についてですが
経済成長 (生産と需要が5%伸ばせるの) であれば それに合わせて、GDP成長を期待し、それに連動した増加分/流通速度(=マネーサプライ)を増やすべきです。経済停滞したら同様に減少させるべきでしょう。

しかし、今後成長を見込まれる投資の部分(震災後など)については、別枠で対応すべきであり、それは今までの食べ物やエネルギーの貯蓄で生産活動が賄われるはずです。

つまりそこでは、今まで必要以上の生産部分があり、回復するためにお金を流すという観点があります。

批評点

これを全く無視している点が、局所的でありおおざっぱといえるでしょう。完全に詳細まで検知できはしないかと思いますが、もっとダイレクトな部分(上記のような状況やマネタリーベース)と連動させるべきかと思います。

また、生産できても、モノ・サービスを分配する視点がごっそりかけており、雇用をよくするといっても、買えなければ生産できているにもかかわらず、届くことができないという大事なポイントがないがしろにされています。

また貨幣数量説において、貨幣は中立で生産などに影響を与えないとされていますが、有効需要の話もありますし、金本位による裏付けもないため、金属貨幣から信用貨幣に変わったため、しっかりと考慮して定義しなおす必要はあると思います。(少なくともお金が不足すれば、市場機能は抑制され、お金を手にすれば大判振る舞いしがちになる)

ケインズや、昭和恐慌の高橋是清財政もある程度うまくいきましたが、MMTがいうように生産量という限度があります。つまり、インフレターゲットよりも優先度の高い制約は生産量です。無限に不況から脱せるわけではなく、正しく今はどういう不況なのかを見ることが大事だとおもいます。

ぎこちなく、不完全な金融緩和のルート

今は、中央銀行制度があり、中央銀行から、市中に流れるルートは、政府による財政(日銀マネーの借金)か、万年筆マネーによる(貯金額を超える実質日銀からの借り入れ)が必要です。
※今はbankといっても、事前にお金を貯める必要がないことは、イングランド銀行が(信用創造の勘違いに対する注意喚起についての)論文を季刊誌にだしている。

前者は借金問題と絡め、複式簿記(信用貨幣の考え方など)が理解できていないと、金融政策と財政政策の論点ずれのまま議論は進まないでしょう。

後者は、低金利で刺激することはできますが、マイナス金利になっても動かない状態ではもう効果がないといえます(流動性のわな)。

※現状平成の日本では、資金が足りないのではなく、市中での循環するお金が足りないだけなので。

そこにピケティがいうように仕事が得意な人によるお金の偏りと、消費税により一層市中で循環するお金が不足しています。

ポールグルーグマンは流動性のわなが起こらないことを証明しようとしたがそれは徒労に終わりました。

もう一つ新たにルートを作るならばベーシックインカムです。ヘリコプターマネーに近く、(例えば国民債を日本人に発行してもらい代わりに)日本円を渡します。日本の生産力が上がったら共有財産である日本円(信頼)を一部の上場企業や国と仕事している企業ではなく、国民全体に配るのです。生産を限界まで上げた方が豊かな社会に違いありませんし、効率化されれば、周りの人をサポートできる社会的余裕も生まれます。

インフレ懸念が出たならば、増税するなり、金利を上げるなりして、ベースマネーを日銀経由で消滅させればよいのです。

あとは流通速度を上げる方法があります。電子マネー(Edy/Suica)やクレジット、ポイントなどの方法がありますが、比率が極小で極端に拡大はしないでしょう(裏付けが結局ほぼ円なので)。

表面的な量的緩和は実質的な円の価値低下を招きます。

工業生産など、生産率の効率アップによるGDP減少はよいことですが、分配の仕組みがなければ、生産効率upへの躊躇になり、高齢化へ向けた生産効率化やや労働時間減少へ向かいません。(実際給料のために残業する人もいる)

実例

2013年 安倍内閣と黒田日銀総裁らが2%目標にしたこともありましたが、全く需要を喚起できていません。

失敗原因

・需要不足が原因か?
・マネーサプライの定義や、市中に流れるルートのが存在しない。

失敗した原因は、まず現在有効需要がないと認識しているようですが、お金があれば、旅行したり、車を買ったりレジャーを楽しむ人は多いでしょう。お金がないから家でじっとしたり、外食ではなくエネルギーや資源的に非効率な家庭食をとったりするのです(家族の効率や愛情の面は除く)。

つまり、現状お金があれば使いたいという有効需要は十分にあることは、否定できないと思います。遊休資産や投資の視点にこだわりすぎではないでしょうか。日常の歩ける範囲でわかることです。

逆に生産面として、スーパーやコンビニでの廃棄量や家電量販店、本や漫画、ゲーム、映画、音楽などの品ぞろえを見ても、買い控えしているのは生産量に問題がないといえるでしょうから、それほど急激なインフレを懸念する必要もないと思います。

もう一つは、金融緩和をしても、表面上のところだけあふれ、財政出動も抑え、期待需要で投資も盛んにならなかったため、市中へのルートは詰まってしまっています。これでは流れず、(詳細は省きますが)中国やアメリカの景気を日本の輸出力で下支えして、ますます国内の空洞化を助長したことです(インバウンドやオリンピックに期待したことおなど)。

(海外ではなく)国内の需要が喚起されないため、物も売れず、売り上げも上がらず、利益も増えず、賃金も増えず、需要も増えず、外貨リスクが高まっただけになりました。金融緩和を止めたのは賢明だと思いますすが、少なくとも財政出動に対して批判をしない日銀は理解できていないのではないでしょうか?(マネーサプライの定義もひどく美しくないですし)

つまりある程度現状認識はあっているものの、コントロールすべきところや影響店の関連性やインパクトが整理されておらず、片手落ちに見えます。

ただリフレーションを実行できた経験は得られたメリットだと思います(金融緩和のGDPなどへの影響の把握や期待需要があがらなかったことなど)。

C. ケインズ派

もとは主流派でしたが、恐慌状態を直視し解決しようとしたケインズは、雇用の改善に取り組みました。

  • 生産したものは、消費以外にも、貯蓄投資に回る(消費性向、心理、趣向)
  • 消費が下がれば、金利(投資機会減少)や、雇用(クリティカルな問題)が下がる。
  • どのように配分するかは、金利の影響や完全雇用(ゆとり)かの影響を受ける。
  • 投資についても限界効用がある(お腹いっぱいの時のように、投資も意味がなくなってくる)
  • 賃金水準の影響からも、消費は影響する。
  • 賃金が下がっても、値段が下がる(古典経済学)か、雇用が増える(一般論)については、議論がある。(→ケインズ派Noといっているが、Noのケース(生産力upなど)もあればまれにYesのケース(需要は大きいまま)もある)
  • 賃金が減ると、デフレで買いやすくなるが、全体に悪化する影響の方が大きく、外国と比べた賃金で黒字幅が上昇する。

これらの関係性で、完全雇用に向けたコントロール可能なパラメータは、お金の量であるとみたケインズは、お金の量→有効需要→雇用→賃金→消費増を目指し、政府による投資(財政政策)で固まった経済を解きほぐそうとしました

※金利により、お金を流通させようとケインズはしていますが、信用貨幣となった現在、事前にお金を貯める必要はなく投資需要があれば、ただちにお金を増やすことは可能です。投資の回収もミクロ(会社、事業レベル)では時間がかかりますが、マクロ(社会レベル)では回収は直ちに終わり、投資効率で生まれた価値を回収できます。

ケインズはほかにも次のようなことを言っています。

・事業化の方が、貯蓄しやすく、資本形成しやすいから所得税を増やすのは間違い。→金利を下げ、消費を増加させた方が投資は増える
・政府の力は完全雇用のために増やさなければならない部分がまだあるが、完全な社会主義は容認しない

Keynes “General Theory” Digest  
ケインズ『雇用と利子とお金の一般理論』要約 by 山形浩生
https://cruel.org/econ/generaltheory/

のちの歴史

ケインズのやり方でいったん景気は上向いた(1930)ものの、戦争景気が終わるころ疲弊すると同時に、政府発行が増えても影響が薄く、行政サービスの質が低いことにより不満も増え、スタグフレーションがおき、中東戦争(1970年代)のオイルショックが決定的になりました。

ケインズ経済学が失墜します。
※ 黄金の量に縛られているなどの理由や、おそらく無思考に政府がお金を投入しても、お金の量が増えない(政府発行紙幣でない)、借金ばかりが膨らむ、などが原因ではないかと思います。なので、2020年にリフレ派のやり方が失敗して、次に国債を単純に発行してもこの点を間違うと、流れが悪くなります。アメリカはそういう意味では、中央銀行が政府内ではないこととあわせて、MMTが日本に対して勧めるように気軽には提案しにくいものがあります。

大きな政府から小さな政府が叫ばれ、主流派が隆盛します。

ミクロの数式理論や、金融を重視しました。

が、誠実さや信頼を欠き、サブプライムローンやリーマンショック(2003)で特にそれが顕著になりました。前提としていた市場そのものを破壊したのです。

完全なる市場、雇用の確保が想定された前提で動いており、恐慌や不況に対する考慮がされていないことが原因ともいわれています。

そして世界中が低金利、流動性のわなにはまりつつあります(2019)。

リフレ派でも抜け出せていません。そこに対してケインズは議論していました。

ポストケイジアン(マクロ寄り)

IS-LM分析(国民所得と金利の均衡の関係を財(消費・投資)と貨幣(需要貨幣と投資貨幣)市場の均衡状態でモデル化したヒックス※理解不能・・・)や、JFKやローガンの経済政策に関係したアメリカンケイジアン(ほぼ新古典派、ミクロや、価値に重きを置いている)、 国家債務の対GDP比率 90%論文で有名なロゴフ(2009:This time is different)がいます。

実例

高橋財政やドイツの高速道路は成功したといわれていますが、ニューディール政策自体成功したとはいいがたいです。実際それを回避するように、中国を支援し実質宣戦布告しつつ、日本に条約破棄、経済封鎖、資産凍結と連投して和平交渉する振りをして時間稼いで戦争準備していますから。

失敗した原因は、GDPを見る限りほぼ横ばいで 金本位制をまだアメリカは標榜していたこともあり、 十分な資金供給ができず、ただ横流しして開発しただけだからだと思います。

そういえばバブル後の日本もそうですね。江戸時代藩札を発行しても自分たちで経済を回して成功している事例がいくつかあります。

一方、IMFがアジア通貨危機や、EUのギリシャ、イタリアで緊縮財政を行い、結果消費が冷え込みました。EUでの出来事は、数年~何十年分ものリカバリーが必要になってしまったと反省した経緯もあります。

MMT

はじめに

当時から、現代は信用貨幣に変わり、信用貨幣という状況(Modern Monetery)において、雇用を目指した理論にMMTがあります。

雇用と貨幣の関係を重視するやり方は、ぼやけているように見えますが、信用貨幣の量に関する考察は、現実(今の中央銀行制度)に一番近いように見えます。

細かい話ですが、明治維新直後のようなときに、政府の徴税権があったほうが、導入はスムーズになると思いますが、徴税権があっても貨幣が衰退する可能性もありますし、なくても貨幣システムが維持される可能性はがると思うので、国家徴税権は、特徴とは関係ないかと思います。

経緯

1905 年クナップ「 貨幣国定説 」は、金属貨幣と同様に、法定通貨も交換価値を持ちうると発表しました。

アルフレッド・ミッチェル-イネスは信用貨幣論(1914)において政府の資金は課税によって回収できる負債であると論じた。

貨幣価値が金と密接に関連しているという考えを放棄すべきだとした上でインフレや不況対策を回避してきた責任は貨幣を発行したり課税する能力のある国家にあると主張したアバ・ラーナー[37]、金融不安定性仮説を提唱して信用創造を表券主義的に理解したハイマン・ミンスキーなどがいる[27]

銀行貨幣と国家貨幣との違いを一覧表にしたバジル・ムーア、スティーブン・ヘイル、著書『フリーマネー』で表券主義のエッセンスを平易に説明したロジャー・マルコム・ミッチェルなどがいる。

2019年2月には、ウィリアム・ミッチェル、ランダル・レイ、マーティン・ワッツらによる初のMMT経済学教科書『マクロ経済学』が出版された。

現代貨幣理論 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96#cite_note-FOOTNOTE%E5%8A%A0%E8%97%A4201921-70

特徴

いくつかの論点となる特徴は以下のものがあります。

a. 政府は機能的に無限にお金を発行することができる。
b. インフレを抑止した形での完全雇用対策として、就労プログラム(職にあぶれている人を0に)を用意する。
c.   政府は支出を行う際にそもそも借入などする必要がない。従って、実は、国債発行は政府による借入ではない
d. 信用創造は万年筆マネーであり、貯蓄が事前に必要なわけではない。
e. マネタリーベースを引き上げる方法に、政府の国債発行が必要になる。
f. 政府の借金が、市民の貯蓄になる

解説による補足

ほとんどがMMTが著したものというよりも、現実を表現しただけに過ぎません。

a. MMTに限ったことではなく、中央銀行の存在から自明です。これを否定する人は中央銀行の役割に対してどういう理解なのでしょうか?

また、インフレ懸念から、実際的には発行量に限度があります。そのため政府の発行額や、変動相場制が外国のお金との調整に必要です。中国のような固定相場制では、調整が働かず、消費の多い国ではハードクラッシュの危険が高いです。日本でもプラザ合意時(’86)に、円高不況になり、間違った対策をして国内の空洞化と経済停滞を招いたといえると思います。

b.目的はよいと思いますが、前述したようにややピントがずれていると思います。例えば社会ではアリの世界のように、常に必ずしも全員が働く必要はありません。労働は人間としていいものだと思いますが、まずは生活費の確保を意味していると思います。そして大事なことは、最低限の生活を享受できることなので、一程度の生産(労働、そして分配)と補償をセットで考えた方がより、本質的でブレがないと思います。

※著者注:MMTが完全雇用を満たそうとしているトリガーはまだ読み取れていません。

c. 信用貨幣という性質から、税収が必ずしも必要になるわけではなく、金有益な余裕があれば、財政出動が可能。つまり震災時に、よほどのインフレでない限り、増税をする理由がありません。銀行が、貯金を集めなくとも万年筆マネーを発行できるように、政府の財政も歳出は可能になります(もちろん無限ではありません)。

そして、それは徴税は財政用途ではなく、金融用途であることがわかります。

多くの人はまだ気づいていないのではないでしょうか?まだ常識になっていないように見えます。

日本円の裏づけは日本円で買えるものなので、実態は生産力が重要です。同様に国債を借金というのは表面上の数値的な表現でしかないのであって、実態の価値は、国民の労働力などの資源があれば、問題ありません。つまり食料や住まいをその人たちに提供できれば、行政サービスは行えます。

防衛や防災、医療など、多くの人の生活に安定や安全をもたらすのであれば、日本円を活用してもらう価値は十分あります。

信用貨幣であるから、 金融的な考慮は必要であるものの、 お金を物理的に近い形で徴収する必要はありません(信用は概念ですから)。信用貨幣の裏付けは購入できるもの、モノ・サービスが提供できるのであればその価値にあったお金を増加してめぐらせても無駄にもなりません(つまり日本人の労働力を有効活用することになる)。

日本全体としてやらなければいけない仕事の総量があったとして、ある人は仕事を、ある人は行政サービスを行います。その時仕事で稼いだ人から所得を取り上げる必要はないはずで。本来は自分たちで行うか、お金を払ってやってもらうかなので mustというわけではありません。今はお金のシステムが未熟で巡っておらず、攻めの人にお金が廻って、分配する力が弱いため、生活費を税金という形でめぐらせているにすぎません。

仮想通貨も、中央政府から離れられるという点で担がれているようです。一方で政府通貨にみられる仮想通貨本来の信用という裏付けや、量の調整管理が直接的には難しいです。それをワンクッション持って回避すると、ブロックチェーン技術では、性能面、計算量、セキュリティ冗長性などが奪われてしまいます。ただでさえ、処理に時間もかかり無駄が多いのですがデメリットが大きくなると思います。

お金に目がない人は、お金の実態が見えず、競馬と同じで、ギャンブル的な視点しかないのではないでしょうか?

d,e,f についてもMMTというよりは、信用貨幣による特徴であり、MMT以外がこの重要なことについて言及していないことがおかしいのです。すでにこのような状況に変わっていました。

変わったその時に、突然のアメリカの裏切りもありますが、それをはっきりさせなかったため、幕末の開国の時と同様に、ニクソンショック時にアメリカに資産が流出してしまいました。

d. 銀行の役割も変わっています。銀行はまず貸し出しを行い、BIS規制のためや、ひと月に一度 法定準備預金額 を満たせない場合に市場や日銀からお金を調達します。

つまり渋沢栄一の時代のように、貸し出しのために先にためておく必要はないのです。融資先があればすぐに貸し出しできるということです。そしてタンス預金が眠っていても、投資が回らないことはないのです。投資に値するかの判断が難しいだけです。

e. 銀行マネーと、政府の国債発行(どちらも日銀からの借り入れ)を行うとベースマネーが増えます。 銀行間や市民間の融通ではベースマネーは増えないと思います。

さらに個人的に問題となるのは、そのルートの不明瞭さです。前述したように金融と財政をごっちゃになって議論しているのも問題ですし(経済や政治で言葉が不明瞭なまま議論されていることをよく見かける)、一般市民への配分の仕組みがないことも問題です。  ※前述したので省きます。

f. 上の状態からわかる通り、政府が借金しないとベースマネーが増えないため、市中のお金・貯金も増えません。

だから、プライマリーバランスを担保しようとすると、市民の生活が苦しくなるのです。 ロゴフ論文も GDP90%も200%も一緒くたにたった4つにしかグルーピングしていないため、それを見ると逆に破綻したケースを含めてもさほどデフォルトリスクが悪化していないことから、GDP比が高いほうが成長していると読み取れると思います。

とにかく、話がややこしくなるので、国債以外のベースマネー調整量を表現する日本円債の発行などの検討を勧めます(日銀のマネーサプライの定義はきたない)。

インフレやデフォルトを懸念している人は、MMTに限らず、いままでも気にすべき問題であって、論点がおかしいのです。信用創造や信用貨幣、銀行、融資についての旧時代の考えのままであるため、理解ができないのです。

上記のように少し本質までたどって、どこがずれたかを確認すれば、MMTが理解でき、まともな議論ができるかと思います。

インフレに対するリスクはありますが、もっと許容できるという内容です。インフレにリスクあるようにデフレの方がリスクは大きく、生産力を生かしていない分、平時でのデメリットは比べ物になりませんし、今現実に長年起きており、日本では無駄に働き、利益が国民に還元されていない事態に対する議論のなさに不信感を抱きます。

反論者は、MMTに反論しているつもりで、信用貨幣等に対する不理解や、社会的視点のなさが表れていることになってしまっています。例えばインフレリスクに対するものも、現在のシステムそのもののリスクと同じです。そのため現状認識を誤ったまま議論がなされ誤解を含めて、2重に指摘しにくい部分があります。

このようにMMTに対しては一番現実に近いだけでなく、特に根本的な反対する部分は見当たりません。ひとえにマーシャル(主流経済派、ケインズの師)の教えをもとにした現実を直視するという点を大事にしているからだと思います。

主流経済派の緊縮財政のやり方も、リフレ派のやり方も十分すぎるほど行ったので、それからデータを整理して、別のやり方を行ってもいいのではないでしょうか?

狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること

D.マルクス

マルクスが書いたのは資本論(1867年 第1部)のみで、2,3部はエンゲルスが引きつぎました。現在は残った草稿などからより厳密な資本論を導き出そうとする活動を含めたMEGAが行われています。

資本論はタイトルの通り、共産主義ではなく、資本の蓄積を中心とした話です。 労働価値で自然物に価値を付与する労働価値説 など、資本を理解するために商品、貨幣、価値などの概念が説明されています。

資本の蓄積は賃金労働者から余剰を受け取ることで、継続的に増やします。余剰生産や賃金の低下から、商品が安価になり生活しやすくなります。余剰分を資本に転嫁することで資本蓄積が進みます。

資本の 蓄積は禁欲を善とするプロテスタンティズムが資本主義の精神となる(マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904) とマルクスも同意しています。)

これらにより賃労働と資本家の矛盾が拡大すると予想しました。

第2部では資本の循環と流通を、第3部では資本の利潤などから 資本主義経済の全体像の再構成を試み ています。

この時点で特に批判するようなことはないと思います。細かい価値と値段の表現について、マルクス批判があるらしいです。ただ視点はマルクス以降、分配にこだわりすぎで生きるために最重要な、生産に対する意識がなくなっていきます。

マルクス主義のその後の歴史

マルクスの階層闘争から、ドイツ、イタリア、フランスなどに広がりました。そこは単に言論闘争でしたが、ロシアではマルクス・レーニン主義が広がります。

ロシアは、日露戦争前の大津事件(1891)で日本の司法に大きな衝撃も与えたニコライ2世が最後の皇帝となりました。

ユダヤ人、ポーランド人のほか日露戦争のため日本人も関与したと思いますが、経済疲弊から、WWI 以後 ソ連に変わりました。ロシアではないため樺太・千島については、サンフランシスコ講和条約も含め調印しておらず、空白地帯に近い状態となっています。

レーニンは、スターリンを解任する前に、亡くなり、その遺志を継ぐものとしてスターリンがトロツキーと争い勝ち残っていきます。

これは中国で、孫文や袁世凱の権力争いの体と同じです。

こうして、コミンテルンが生き残り、世界に暴力を蔓延らせました。

共産主義の子孫

マルクスは資本論で直接階層闘争の話はしていませんが、共産宣言等でプロレタリア独裁(労働層が権力を握る)思想をエンゲルスとともに推進していました。

これが、現実的に暴力となって、表れ、赤の軍団や赤狩り(レッドパージ)として、日本では赤軍派テロ組織として、日本のあさま山荘をはじめ、欧州などで問題を起こし、メンバーは指名手配を受けます。

カンボジアでは、ポルポト派が農業を極端に推進し、教師や医者など知識層が殺され、本を持っていた李眼鏡をかけただけでも殺され、大きな後退に見舞われました。ジンバブエも当初人種差別をしない運営をしていましたが、白人を追い出し、生産が追い付かず有名なハイパーインフレに見舞われます。

中国では、毛沢東が農業を中心にするだけでなく、年長者や知識層の技術をないがしろにしたため緑の革命で大失敗をし数千万単位で人がなくなりました。

毛沢東はスターリンを尊敬し、参考にしていましたがスターリンの死後危機感を持ったのか、沿岸側で市場開放し経済政策(資本主義的)を推し進めます。

さらに自分の肖像を崇拝するように、対策をうち、ソ連を含めて、台湾、日本、内モンゴル、のちのウイグルやチベットに侵略します。チベットのダライラマはこの弾圧でインドに逃亡しています。

北朝鮮も同様に、共産主義から主体思想(しゅたいしそう、ちゅちぇしそう)に切り替え、日本の北海道や沖縄などで、もともとあったコミンテルン、共産主義つながりで活動を継続します。

これはアメリカが、共産主義を日本に蔓延させようとして、プレスコードをひき、公職追放、財閥解体を推し進めたためでした。その後アメリカも世界の大部分が共産主義に傾いたあとに脅威に気づき、GHQ内部でも、G2,GSで対立が起こります。

東欧、中東、中央アジアなど各地で戦争の火種が絶えません。日本ではベトナムや中央アジアのアフガニスタンが有名でしょう。アメリカやソ連が同盟国を増やすために、介入するので泥沼化しがちです。

中国の袁世凱、蒋介石や、アメリカのFRDらが、権力におぼれていなかったら、世界的な被害という点で、ここまで多くの人命が失われなかっただろうと思います。

このように闘争階級の思想を暴力的に転用し、世界情勢に大きな影響を与えています。

社会主義や共産主義が悪いというよりは、啓もうや説得せずに暴力的、破壊的に遂行していることが問題です。

もともと経済では、経世済民という思想にもみられるように、当初国民を救う防衛や生産を目的として、主流経済学者の目的にもあるように、社会主義的な性質を帯びるものです。

みんなが食べていけるということは社会主義的なニュアンスがありますし、生命にクリティカルなことを共有財産(食料、土地、医療、防衛、政府通貨)とします。

まとめ

  • 経済の話(政治・歴史を含む)は事実・現実というよりも、思想部分がかなりある。
  • 多くの著名な経済学者(主流派やマルクス)は、非常に道徳的な目的があり、社会的な性質を帯びた思想でもあった。主流派も生産を第一とし、マルクスも含め生産や労働価値の向上を目的としていたが、奪う方の、金融や価格にこだわるようになってしまっている。
  • スミス、マーシャル、マルクスなど本人の著者は実際には完成していない。
  • 資本主義、所有の悪弊か、仕事をしたふりのような、社会的に役立つよりも依然との違いにこだわるような内容になってきてしまっている。

ノーベル・経済学賞は、商標違反ですし、経営者や政治家からも、経済や政治は何も役に立っていないと散々の言われようです。が実際、実用上の進歩は余りしていません。

それは、経済を評論する人らが、中身を理解しない権威主義であったり、現実を見ず、そして言葉の定義や現実に対するあてはめがほぼないため、議論がかみ合わないのだと思います。

そして、社会的視点ではなく、個人的な所有・金ぴか主義で物事をコントロールするため、社会や世界が断絶時、孤立化しているのだろうと思います。

前提条件下での理論家をしており、前提が必要だとは主張されていない。今は主張していないことを、あたかも必要なコントロールすべきパラメータであるかのような意見をよく聞くのは不思議です。

問題が単純に解決できない時は、主要な要素に分けて、整理するとやりやすくなりますが、権威主義で理解されていないのか、表面的で 派閥丸ごとの全体争いになっています。要素ごとにわければ、優先順位付けから、メリット、デメリットの伸ばし方抑え方、作業分担がやりやすくなります。

今見てきたように要素要素や前提条件などはおかしくはありませんが、一般的に個人的に見聞きする範囲では、重要なことや体形だてたり、関連性を整理することができていないように見えます。

つまり、よくするためには逆のことをすればよいと思います。

それは、 (1)政治・経済では社会的視点で、 (2)現実を見て、(3)共有認識のできる状況や言葉を整理し、(4)社会や物事の関連性を体系立て、その影響度を含めた整理の中で、(5)現実可能なやり方でやることが、最低限の当たり前の改善方法ではないでしょうか

参考

wikipedia 各ページ。

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