三途の川は現在の心の有り様で解釈できないか探したら、


三途の川を
生きている現在になぞらえられないか
探していたら、

特に意味が見つからなかった。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~maruyama/houwasigonose.html
「三途の川」 死者は秦広王の法廷を過ぎると、あの有名な三途の川にさしかかります。小さい川ではなく、冥界をとうとうと横切って流れる大河です。そして冥途の旅をする者は、誰でもこの「三途の川」を渡らなければならないのです。 「三途の川」の名の由来は「この川の向こう岸に渡るのに、三通りの途(みち)が有った」と言うところからきています。そして渡るところに三つ有る。一つには橋が架かっている。しかしこの橋を渡れるのは善人だけです。それ以外の悪人達は、川のなかに入らなくてはならないのです。しかもその悪人には二段階があって、比較的罪の軽い人は浅瀬、重罪の人は濁流を渡らなくてはならない・・・・・・

三途の川は仏教ではなく、道教の上記の内容から来ており、
さらにいろいろな話(恐らく民話)が積み重なってできた内容。

もともと葬頭の河などとも言われていて、
3本のルートの話ができてから、そういう当て字になった可能性もある。

悪人の件の話や、賽の河原や、それを崩すおばあさんなども全部別の話の可能性がある。
六文銭の話や、船が出てくる話も、あとから追加された話だ。

もしかしたら、賽の河原は、子供が罪深いと言う意味ではなく、
早く死んで徳を積めなかったから
そこで徳を詰めるように救いの解釈を追加したのかもしれませんね。

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