5分で分る靖国の心,10分で見当がつく靖国問題


靖国。
現在 九段下の靖国神社のことを指す。

大村益次郎

靖国に大村益次郎が立っているように、かなり需要な人物。
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上野の彰義隊をあっという間に蹴散らすぐらい、銃と戦術に長けた人物。
上野の入谷の方の寺まで行くと弾痕があります。

上野から鶯谷、日暮里、千駄木、名前の通り江戸の周りのちょっとした丘になっています。

当時の社会情勢と日本が置かれた立場

アメリカよりも、イギリスやスペインなど西洋の熾烈な植民地化がすぐそこに迫ってきていた。

江戸時代にどこまで理解していたかわからないが、
1840年のアヘン戦争の結果をみても
日本が置かれた危機的状況は変わらない。

江戸幕府転覆も見えはじめ、権力が移譲され始めると、
江戸幕府の時と同じように、外国に対処する必要があった。

 

明治維新後、武士だけではなく、
いつでも動員できる軍(織田信長と同じ発想)を弱くても作る必要があり
銃などの発明で、それができるようになっていた。

そのことは、もちろん武士としてみれば、誇りを奪われ、生きる糧を奪われることになる
そのため、武士の反乱となった。
※不平士族の乱というのは、明治政府という下級士族や外様大名からの視点です。

もちろん明治政府も、武士の立ち位置がなくなるのはわかっているので、
武士を抑えるのは無理という派もいた。
それでも、西洋列強と戦うためには
常備軍が必要で、武士・藩を解体して、
国民によrる常備軍支持する人もたくさんいた。

西郷隆盛は何回か、萩の乱も含めて断ったが、
断りきれず最終的に武士とともに戦い、死んでしまった。

明治政府も立ち上がり落ち着いてき始めた頃

鎮台者の設立

大村益次郎も武士の状況が恐らくわかっていて、
天皇に政府に反対した人も、目的は日本のために戦ったのだから
祭りたい(いわゆる日本の祭り好き。逆説の日本史流に言うと穢の文化)という案に天皇が賛同した。

それが鎮台社。それを主導したのがその大村益次郎である。
これがのちの靖国神社になる。

武士から嫌われていただろう益次郎も、
上辞した直後の1週間後に
暗殺の可能性がある京へ向かった。
わかっていて暗殺された。

自分の本分を全うすることから逃げなかったのだろう。
その後、益次郎は死んでも、鎮台社は整備されていった。

靖国でまつる柱の範囲の拡大

そのあと靖国は日本のために戦った人みんなをまつるためのものになり、
だんだん範囲が広がった。

もちろん太平洋戦争でも、それはみんなの周知の事項であり、
天皇や日本のために戦うことは、
死んでもそこに戻れるということを指していた。

靖国で会おうとはそういうことだ。

中国と靖国について話すのは少し違う。

また靖国を移動させても名前を変えてもいけない。
戻ってくると約束したところだから。

それに当時の国民の意識としては、
天皇を困らせることをわざわざ言わない空気の文化がある。

野暮である。

なので、子孫にその気持が伝わらない。聞くと答えてくれるかもしれない。

これが中心の概念。
ここまでが、靖国のこころだ。

 

靖国の心のまとめ(前半のまとめ)

矛盾だらけの明治維新では
多くの人がなくなり、武士も多数死んだ。
それを弔うためにできた靖国の前身があった。

その思想のもと、昭和において
戦略なき軍部の指示で
靖国に帰れると信じて散っていった
被害者となった国民がいる。
体はなくなっても、魂だけでも日本に戻れる場所が靖国だ。

 

戦争に行って戻ったのも、
戦争をしようとしたのも
戦争は良くないと言ったのも、
みんな同じ、日本人である。

※敗戦国断罪の 名ばかり国際裁判の件はまた別の流れが絡んでくる。
※日中/太平洋戦争時は、国やその地域が家族の面倒を見ることを半ば約束していたようなものだ。

日本人以外も靖国にはいる。
また無名の遺骨は桜の名所でもある千鳥ヶ淵にあり、
アメリカのケリー長官 も参拝した。

Peace Philosophy Centre: 日本でだけ報道されないケリー、ヘーゲル両長官の千鳥ヶ淵戦没者墓苑訪問の意義
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/10/blog-post_4437.html

 

 

その後の追加経緯

負けは負け。一方的な裁判

日本内で言う戦後に
一方的な勝者国から、裁判が行われ
ABC級戦犯が確定した。
(その様子は  日本よりの本 ですがこちらに書かれている)

極東国際軍事裁判 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/極東国際軍事裁判
1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日

サンフランシスコ講和条約で

まだ国として成り立っていない中華人民共和国と 分裂した朝鮮以外の
主な国で、日本は国際裁判の執行を行うことを約束した。
(違反したら攻めてもいいという条項は現代にも残り、
それが日本が独立国としておらず
国連の常任理事国になれない理由とも言われている)

日本国との平和条約 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本国との平和条約
1951年(昭和26年)9月8日

国が実効支配していないとは
その団体が、約束を守れるかにかかっている。
力が弱ければ実行できないし、範囲が狭ければ部分的に実行できない。
つまり交渉のかいもなければ、そもそもしようがない。
当時の中国(中華民国を部分的に打倒し始めたところ)と韓国はそういう状況だった。

民間の署名

その後民間から、戦犯の許しを求める運動がおこり
1952年 恩赦が認められた。

つまり、国民と国会の決定事項

国内では戦犯とは見做さないと決めたのは国民と国会だ ( 国会 ) – 反日なんてウソ – Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/omoikanenomikoto2005/4229291.html

当時の陸軍は馬鹿だったとかの感情論や
戦術の失敗などは一旦置いておいて
判断する必要がある。

日中国交正常化

その後も各歴代の首相は外交を続け
ついに田中角栄首相と周恩来は
お互いの状況を確認し
「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって
一旦A級戦犯のせいにして、
仲良くしましょうという前提で
1972年に正常化しました。
(野中(元?)官房長官のコメントがあったそうです)

ちなみに、日中戦争していた中国の国としての当事者である
中華民国の台湾とその時国交を断絶し、尖閣諸島は一旦棚上げしている。
これでアメリカから反感を買ったのか、
田中角栄は予期もしていないロッキード事件で犯罪者となる。

A級戦犯を靖国に祀っていたことは
政教分離の観点からなのか中国も大目に見ていた節がある。

下記のときも問題が起こっていない様子。

第66代総理であった三木武夫が1975年(昭和50年)8月15日、総理としては初めて終戦記念日に参拝した際に、私的参拝4条件(公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、公職者を随行させない)による「私人」としての参拝を行った。
靖国神社問題 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/靖国神社問題

しかし、突如小泉首相が、曖昧に参拝してしまい、
教科書の歴史問題とからみ
中国を刺激した。
アメリカが、刺激しないようにと行ったのはこのことだと思う。
小泉首相も日本人らしく、感情として公私を曖昧にしたが
それが外交的に合わなかった。

第87 – 89代総理・小泉純一郎は、2001年(平成13年)8月13日の首相就任後最初の参拝をした後、公私の別についての質問に対し「公的とか私的とか私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心を込めて参拝した」と述べた。これ以降、特にこの論点が大きくクローズアップされている。但し福岡地裁の判決後は私的参拝であると表明している。

 

経緯のまとめ(後半のまとめ)

韓国、満州をはじめ 旧中国領域やアジアを
まとめられずに負けた日本。

戦後、敗戦国として、刑執行は継続すると約束するも、
A級戦犯は恩赦され、一応の承認は得た。

一方、中国とは、
日本国民と中華人民共和国はともに
A級戦犯のせいで
被害を受けたという状況整理のもと
日中国交正常化を行った。

しかし、その認識を覆す自体を日本は起こした。
(教科書問題の一部であったり、
公式な首相の靖国参拝であったり
A級戦犯の合祀だ)

今後に向けて

もちろん個人的な意見だが、
日本はアジアの平和を目指すリーダとして
このような対応はどうだろうか?

  • こういう事実を整理して国民が理解する。
  • その一方、A級戦犯だけは、靖国以外に鎮魂し
    A級戦犯の鎮魂の地へ首相は公式で行かないようにする。
  • A級戦犯の遺族対応などは、人道的な観点での支援にする。

様々な問題が絡む

靖国問題は
これが大筋だと思うが、
そこに 日本帝国への恨み、外国からの日本帝国への懸念、昭和天皇のご意向
遺族の感情、政治献金の問題、お金の恨み、大東亜戦争の思想の話や
数々の遺体の埋葬、日本の法律よりも感情論を重視する文化や、表面的に捉え水に流す文化
がのっかり、論点が増えている。

筋を捉えずに局所的な細かいツッコミが多い印象がある。
(感情や気持ちは大事だと思うが)

まとめ

日中国交正常化での外交上の話し合いと、
A級戦犯の恩赦という日本流の感情的な対応の矛盾により
解釈の問題が起きている

個別に同時に話すのではなく、
論点を絞って議論を進めなければ、
いままで小泉首相の参拝から15年以上経ったように
今後もなんら進展しない可能性は高い

 

これにより、自立した日本人が増えてくれれば幸いです。

 

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